ひとりしかいない筈なのにたくさんいた? 『皇帝』のお話

2015年3月20日


 

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皇帝いっぱい

 

三国志には『皇帝』と呼ばれる人物が何人も登場します。

後漢王朝末期の皇帝である、霊帝献帝、魏の皇帝となった曹丕

蜀の皇帝の劉備、呉の皇帝である孫権

 

袁術

 

自称“皇帝”の袁術なんて人もいますね。

 

三国志に限らず、しばしば耳にするこの『皇帝』って、

一体どんな人物を示す言葉なのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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王様より偉い皇帝

袁術 伝説 ゆるキャラ

 

皇帝とは、ごくおおざっぱに説明するなら「」よりも上位の統治者、ということになります。

文字的な意味で言えば帝国の統治者です。

 

曹操

 

英語のEmperor、ドイツ語のKaiserなど、日本語で“皇帝”と翻訳される君主の称号は存在していますが、アジアとヨーロッパでは、“皇帝”の示す意味はかなり違っています。それをまとめて説明しようとすると、話が大きく広がってしまいますので、ここでは三国志と直接関係のある中国の皇帝について説明致します。

 

中国における皇帝の認識

景帝(けいてい)は前漢の第6代皇帝

 

東アジア(中国)における皇帝とは、思想的には『天下を治める者』を指します。国(国土)を支配・統治するのは皇帝に任命された君主の仕事でした。

 

玄宗皇帝

 

このため、東アジアでは皇帝が統治する国家としての「帝国」という概念は元々存在せず、

その名称が使われるのは、西洋の概念(英語におけるEmpire)の訳語として誕生するのを待つことになります。

 

最初は神様だった皇帝

殷の大様002

 

皇帝の『皇』という字には“最初の王”という意味があります。

 

もともと、この『皇』という字は、中国の伝説に登場する三人の統治者である『三皇』を示すものでした。

『帝』という字は宇宙すべてを司っている神様を示す文字です。

 

中国にはさまざま神様が存在しますが、この神々の最も上位にあるものが『帝』と呼ばれました。

 

中国で初めて皇帝を名乗ったのは誰?

キングダム 始皇帝

 

 

中国の歴史上、初めて『皇帝』を名乗ったのは三国志の時代からさかのぼること400年以上前、はじめて全土統一を成し遂げた秦王、嬴政(えいせい)でした。

全土統一を成し遂げた彼は自身の尊称を『皇帝』と定め、自らを最初の皇帝=始皇帝と名乗ったのでした。

 

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秦の皇帝は二代しか続かず、その後は「王」が乱立

死期を悟った始皇帝(キングダム)

 

始皇帝の死後、反乱が相次いで起こったことから、結局秦の皇帝は二代しか続きませんでした。

始皇帝から三代目にあたる子嬰(しえい)は、秦が反乱によってすでに全土の支配権を失っていたことから自らを『皇帝』ではなく「王」と名乗りました。

 

キングダム 戦国七雄地図

 

「王」という称号もまた、本来は唯一にして至尊の存在を指す称号でしたが、

秦以前の時代(戦国時代)には各地の諸侯が「王」を称するようになったことから、すでにそれは単なる君主を指す称号に過ぎなくなっていたのです。

 

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三国時代以降、皇帝が乱立するように

三国志まとめ 董卓

 

かつては唯一無二、至尊の地位を示していた「王」が、単に国を治める君主の称号になったように、

『皇帝』もまた、君主の称号となることはある意味必然とも言えるでしょう。

 

酒を飲む曹操、劉備、孫権

 

三国時代には、・呉・蜀、それぞれの君主が『皇帝』を称することになります。

 

皇帝に就任した曹丕

 

魏の曹丕は、漢王朝の皇帝であった献帝からその地位を禅譲され、

漢王朝の復興を旗印にしていた劉備は、その漢王朝が禅譲によって消滅してしまったことから、自らを皇帝とすることで王朝復興の路線を維持します。

 

呉の孫権

 

呉の孫権は「呉王」を称していましたが、「王」が「皇帝」の下に位置するものである以上、呉の独立性を維持するためにも皇帝の地位に付くことは必然であったわけです。

 

斉王になる司馬攸

 

三国時代に幕を引いた晋は、司馬氏が魏王朝を簒奪して成立しましたが、

わずか30年で滅亡し、その後は「五胡十六国時代」から「南北朝時代」へと、皇帝が乱立する時代が400年以上にわたって続いていくことになります。

 

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現代に存在する唯一の皇帝とは?

幕末70-8_天皇(シルエット)

 

 

ちなみに、現代にあって英語における「Emperor(皇帝)」の称号を持っているのは

唯一、日本の天皇だけです。

 

 

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