曹真を憤死させた演義の孔明の悪口ってどんだけ~


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孔明と曹真

 

三国志演義の中で、忠臣で天才で働き者で廉潔(れんけつ)で能弁で発明家で妖術使いで

おまけに背まで高いスーパーチートキャラの諸葛亮(しょかつりょう)

魏の重鎮であった曹真(そうしん)を言葉の力で死亡させています。

 

発声する時に人体に有害な超音波を発することができる異能者だったのでしょうか。

いいえ、恐ろしいことに、諸葛亮はそれを書面で成し遂げているのです!

どんな文面だったのか、細かく読んでみましょう。

 

※本稿で扱うのは歴史物語小説の三国志演義の内容です。

 

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曹真が殺人レターを受け取る前段階「司馬懿との賭け」

司馬懿

 

一般的な数え方では、蜀の魏への侵攻「北伐」は五回行われたと言われています。

曹真は第一次北伐の時から対蜀防衛作戦に従事していますが、三国志演義の中では

たびたび失敗をしています。第二次北伐でもいくつか失敗し、配下の勇将・王双(おうそう)

蜀軍によって斬られた悲しみのため病気になり都に帰還しました。

 

それから一年半ほど経った西暦230年秋、病気も全快した曹真は蜀侵攻案を上奏し、

認可され、蜀への侵攻を開始しました。

ところが秋の長雨に遭い、魏軍は撤退を余儀なくされました。

同僚の司馬懿(しばい)が曹真に対し、蜀からの追撃に充分注意するよう言いましたが、

曹真は追撃なんてあるわけないとなめてかかっています。

 

司馬懿は「十日経っても蜀軍が現われなかったら女装して謝るから頼むから気をつけて」と言い、

曹真は「では敵が現われたら帝に貰った玉帯と馬を君にあげよう」と応じ、

十日間で蜀軍が現われるかどうかの賭けが始まりました。


曹真に殺人レターが届くまで

曹真と麻雀をする孔明

 

何事もなく七日が過ぎた頃、わずかな敵兵が現われたという情報が入りました。

曹真が副将の秦良(しんりょう)に五千の兵を与え様子を見に行かせたところ、

秦良は蜀の策略にはまり討ち取られてしまいました。

蜀軍は秦良の配下の軍装をはぎとり、自軍の将兵にそれを着用させ、

秦良の配下のふりをして曹真に「敵兵を撃退した」と報告させ、曹真の陣営に入り込ませました。

やがてその兵士たちが蜂起し、外からも蜀軍が攻め寄せたため、

曹真陣営は内と外から引っかき回され大混乱、陣地を放棄して逃げ出しました。

 

蜀軍に追撃され命からがら敗走しているところに、司馬懿の軍勢がかけつけ曹真を救出しました。

蜀軍が来るわけないとなめてかかっていたらこんな目に遭ってしまって

司馬懿に合わす顔がないと思っているはずの曹真に、司馬懿は優しい言葉をかけます。

「賭けのことなんか忘れて力を合わせて国に尽くしましょう」

この司馬懿のナイスガイすぎる言葉に打ちのめされて、曹真は陣中で病の床に伏し

起き上がれなくなりました。

孔明

 

曹真が寝込んでいると聞いた諸葛亮は大いに喜び(※)、諸将にこう言いました。

「曹真の病が軽ければすぐに撤兵したはず。いまだ滞陣しているのは曹真が重態であり、

将兵に不安を抱かせないために軍を動かせずにいるのである。

一つ手紙を書いて秦良の部下に持たせ、曹真に送りつけてやろう。

それを読めばきっと憤死するであろう」

先日曹真は秦良が殺されたことに気付かず秦良の配下に変装した蜀の将兵にひどい目に

遭わされましたが、身ぐるみ剥がれた本物の秦良の部下に殺人レターを届けさせるとは、

あざとい演出です。

※三国志演義毛宗崗本にははっきり「大喜」と書いてあります。

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳


これが諸葛亮の殺人レターだ!

手紙

 

曹真は病をおして起き上がり、諸葛亮からの手紙を読み始めました。

 

「漢の丞相武郷侯諸葛亮(じょうしょう・ぶごうこう・しょかつりょう)、書を大司馬曹子丹(だいしば・そうしたん)の前に致す。

(ひそ)かに(おも)うに、将たるものは、日に()り月に(すす)み、

能く去り能く()き」うんぬん。

 

なんか説教から始まっています。

将たる者は臨機応変に戦況を見極めて行動しなければならないと言っております。

これは“お前こんなの全然できてないだろ、バカだからな”という意味です。

説教が終わると、いよいよ曹真への攻撃が始まります。

孔明

(ああ)(なんじ)、無学の後輩、上は穹蒼(きゅうそう)に逆らい、

国を(うば)える反賊を助けて、帝号を洛陽に称せしむ。

 

曹真のことを無学の後輩呼ばわり。曹真と諸葛亮はどっちが年上だか分からない同世代なのですが。

 

残兵を斜谷に走らしめ、霖雨に陳倉に遭えり。

水陸困乏し、人馬()()えるがごとし。

()()つる(ほこ)(よろい)(なげう)ち、

地に満ちて刀と(やり)を捨つ。

 

斜谷や陳倉は今回の戦場です。

“お前の作戦は長雨でだめになり、人も馬も恐慌をきたして武器も防具も投げ捨てて

ひどい有様になったよな”と曹真を馬鹿にしております。

曹真

都督は心崩れて肝は裂け、将軍は鼠のごとく逃げ回り狼のごとく忙しかった。

 

“お前ら慌てふためいて逃げていたなぁ”

 

関中の父老を見るに(おもて)無く、何の(かんばせ)あってか相府の庁堂に入るらん。

 

“国に帰っても人々にあわせる顔もなければ官庁に顔を出す度胸もないだろう”

司馬懿と司馬昭

史官は筆を()りて記録し、百姓(はくせい)(くち)(ぐち)に伝え揚げん、

「仲達陣を聞いて惕惕(てきてき)とおそれ、

子丹は(ふう)を望んで遑遑(こうこう)とふためく」と。

 

“史官は歴史書に記録し、民衆は口伝えで広めるであろう、

「司馬懿は敵軍の接近を知るや恐れおののき曹真は恐れ慌てた」と”

 

我が軍は兵強うして馬肥え、大将は虎のごとく奮いて竜のごとく(いさ)む。

秦川を(はら)いて平らかなる(つち)と為し、

魏の国を(ほろぼ)して坵荒(あれたるおか)とは()さめ。

天書既に下る。速やかに来りて帰降せよ。

 

“めっちゃ強い我が軍が魏を荒れ野原にしてやんよ。

天から下ったこの手紙を読んだらさっさと降伏しやがれ”

この手紙を読んだ曹真は「うぐぐぐ」となってその日の晩に亡くなりました。

(「うぐぐぐ」の出典は横山光輝三国志単行本56巻37ページです)


  

 

三国志ライター よかミカンの独り言

よかミカンの独り言

 

病気で重態だという人に、明らかな殺意をもって、敗戦の小っ恥ずかしい様子を

つぶさに描写して思い出させ、国に帰っても人に合わせる顔もないだろう、

歴史書にはバッチリ書かれて口伝えでも広がっちまうぜざまあみろ、と書き送った諸葛亮。

血も涙もありません。(「ざまあみろ」とは明記していませんが)

三国志演義を形作っていった人たちは、こういう亮さんをかっこいいと思っていたのでしょうか。

現代の日本人とはちょっと感性が違うのかなと思いました。

 

余談ですが、横山光輝三国志単行本56巻36ページのこのやりとりが個人的にツボです↓

司馬懿「大都督ご気分はいかがにございます」

曹真「うむ よくない」

 

※曹真への手紙の和訳はおおむね岩波文庫の三国志演義に基づきながら

一部文言に手を加えたものです

 

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北伐の真実に迫る

北伐  


 

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