私たちが慣れ親しんでいる『三国志演義』のベースとも言える
彼は西晋王朝に仕えている時期に正史『三国志』を編んだのですが、
元々は蜀漢に仕えていました。
そのため、正史『三国志』には
なんだか蜀びいきだな…
と感じられる表現がたくさんあります。
陳寿は言葉を細かく使い分け、
その文字に自分の主張を託しているのではないでしょうか?
その例を挙げながら、
『三国志』に託された陳寿の思いを探っていきましょう。
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この記事の目次
『三国志』というネーミング
正史とされる二十四史の中でも、
『三国志』は一際異彩を放っている存在と言えます。
正史の筆頭である『史記』などの複数の王朝について描かれた通史を除けば、
一王朝の顛末を描いた断代史は『漢書』のように王朝の名を冠しています。
しかし、『三国志』は王朝の名を冠していません。
もともと、唐代頃までは
『魏国志』・『蜀国志』・『呉国志』の3つの書物として
独立して存在していたらしく、
後の人がそれらの書を合体させ、
『三国志』と称するようになったのだとか。
陳寿は三国の中でも魏を正統な王朝として
扱っていたのではないかと言われています。
でも本音では…?
しかし、それらの3冊の中でも『魏国志』にだけ
王朝の皇帝を主人公とする「本紀」が立てられているため、
やはり3冊で1セットであり、
陳寿は魏の君主を「帝」と称し、
呉や蜀の君主が即位した際にも、
魏の年号を使ってその年を記しています。
一方、呉や蜀は諸侯扱いで本紀を立ててもらえていません。
そういうわけで、体裁上はどう見ても
魏こそが正統な王朝であると受け取ることができるのですが、
実は陳寿、文字を巧みに使い分け、
その本音をチラチラと読者に見せつけているのです…。
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蜀は呉よりも格上?
たとえば、陳寿は劉備のことを記す際、
「先主」という尊称を用いて表現するのに対し、
孫権については「孫権」と呼び捨てであることが多いのです。
これは、呉の君主よりも蜀の君主の方が
格上だと暗に示していると言えるでしょう。
しかし、これだけではありません。
陳寿は蜀の君主が魏の君主、つまり皇帝にも匹敵する存在であることを
ある文字を使って示しているのです。
先主「殂」す?
「蜀書」先主伝において、劉備の死は次のように記されています。
先主殂于永安宮、時年六十三。
(先主永安宮に殂す、時に年六十三。)
この「殂」という字、
単純に死のことを表現する言葉ではありません。
実は死の表現は身分によって様々。
それは経書に則って使い分けられているのです。
身分によって異なる死の表現
五経にも数えられる『礼記』には、
次のような記述が見えます。
天子死曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不禄、庶人曰死。
(天子の死を「崩」と曰い、
諸侯を「薨」と曰い、
大夫を「卒」と曰い
士を「不禄」と曰い、
庶人を「死」と曰う。)
このように、
古来より身分によって死の表現が使い分けられている中国。
その使い分けは『史記』や『漢書』にも見られ、
当然それを踏襲している『三国志』でも見受けられます。
「殂」が用いられるのはどんな人?
(画像:堯帝Wikipedia)
しかし、『礼記』には
劉備の死について用いられている「殂」について
言及されていませんね。
この「殂」とは何か。
調べてみると、
五経に数えられる『書経』の中にその文字が見えました。
二十有八載、帝乃殂落。
(二十有八載、帝乃ち殂落す。)
ここに見える「殂落」という語はやはり死を意味するもの。
そしてこの「帝」というのは
あの伝説上の優れた主君である堯帝のことなのです。
そんな堯帝の死にも用いられた
「殂」の字が用いられている劉備。
陳寿は劉備を真の皇帝であると言いたかったと
考えることもできるのではないでしょうか?
陳寿が堂々と蜀を正統と主張できなかった理由
他にも細々とした表現を駆使して
蜀漢の正統性を訴えている陳寿。
いっそ堂々と蜀が正統だと主張してよかったのは?
と思う人も少なくないでしょう。
しかし、それができなかったのには
深いわけがあったのです。
実は、陳寿が蜀の次に仕えた西晋王朝は
魏から禅譲によって帝位をおくられた王朝。
その魏が正統ではないと陳寿が大々的に主張すると、
西晋王朝の根本を揺るがす事態になってしまいかねないのです。
三国志ライターchopsticksの独り言
そういうわけで、
陳寿は形式上だけでも魏を正統とせざるを得なかった…。
そこで、細かい文字に陳寿は自分の主張を託したのです。
自分の並べた文字を一字一句丁寧に読んでくれる人に向けて。
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