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キーワードは劉備の最期一文字に託された陳寿の思い

2018年6月21日


 

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陳寿

 

私たちが慣れ親しんでいる『三国志演義(さんごくしえんぎ)』のベースとも言える

正史『三国志』を編んだ陳寿(ちんじゅ)

 

彼は西晋王朝に仕えている時期に正史『三国志』を編んだのですが、

元々は蜀漢(しょくかん)に仕えていました。

 

そのため、正史『三国志』には

なんだか蜀びいきだな…

と感じられる表現がたくさんあります。

 

陳寿は言葉を細かく使い分け、

その文字に自分の主張を託しているのではないでしょうか?

 

その例を挙げながら、

『三国志』に託された陳寿の思いを探っていきましょう。

 

関連記事:三国志の著者・陳寿のミステリー 前編:蜀滅亡

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『三国志』というネーミング

曹操と劉備と孫権の酒飲み

 

正史とされる二十四史の中でも、

『三国志』は一際異彩を放っている存在と言えます。

 

正史の筆頭である『史記』などの複数の王朝について描かれた通史を除けば、

一王朝の顛末を描いた断代史は『漢書』のように王朝の名を冠しています。

 

しかし、『三国志』は王朝の名を冠していません。

もともと、唐代頃までは

『魏国志』・『蜀国志』・『呉国志』の3つの書物として

独立して存在していたらしく、

後の人がそれらの書を合体させ、

『三国志』と称するようになったのだとか。

陳寿は三国の中でも魏を正統な王朝として

扱っていたのではないかと言われています。

 

でも本音では…?

陳寿

 

しかし、それらの3冊の中でも『魏国志』にだけ

王朝の皇帝を主人公とする「本紀」が立てられているため、

やはり3冊で1セットであり、

 

陳寿は魏の君主を「帝」と称し、

呉や蜀の君主が即位した際にも、

魏の年号を使ってその年を記しています。

 

一方、呉や蜀は諸侯扱いで本紀を立ててもらえていません。

 

そういうわけで、体裁上はどう見ても

魏こそが正統な王朝であると受け取ることができるのですが、

実は陳寿、文字を巧みに使い分け、

その本音をチラチラと読者に見せつけているのです…。

 

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蜀は呉よりも格上?

劉備にキレる孫権

 

たとえば、陳寿は劉備(りゅうび)のことを記す際、

「先主」という尊称を用いて表現するのに対し、

孫権(そんけん)については「孫権」と呼び捨てであることが多いのです。

 

これは、呉の君主よりも蜀の君主の方が

格上だと暗に示していると言えるでしょう。

 

しかし、これだけではありません。

陳寿は蜀の君主が魏の君主、つまり皇帝にも匹敵する存在であることを

ある文字を使って示しているのです。

 

先主「殂」す?

亡くなる劉備を見守る孔明と趙雲

 

「蜀書」先主伝において、劉備の死は次のように記されています。

 

先主于永安宮、時年六十三。

(先主永安宮に殂す、時に年六十三。)

 

この()という

単純に死のことを表現する言葉ではありません。

 

実は死の表現は身分によって様々。

それは経書に則って使い分けられているのです。

   

身分によって異なる死の表現

亡くなる曹操

 

五経にも数えられる『礼記』には、

次のような記述が見えます。

 

天子死曰崩、諸侯曰薨、大夫曰卒、士曰不禄、庶人曰死。

(天子の死を「(ほう)」と()い、

諸侯を「(こう)」と曰い、

大夫を「(そつ)」と曰い

士を「不禄(ふろく)」と曰い、

庶人を「()」と曰う。)

 

このように、

古来より身分によって死の表現が使い分けられている中国。

その使い分けは『史記』や『漢書』にも見られ、

当然それを踏襲(とうしゅう)している『三国志』でも見受けられます。

 

「殂」が用いられるのはどんな人?

(画像:堯帝Wikipedia)

 

しかし、『礼記(らいき)』には

劉備の死について用いられている「殂」について

言及されていませんね。

 

この「殂」とは何か。

 

調べてみると、

五経に数えられる『書経(しょきょう)』の中にその文字が見えました。

 

二十有八載、帝乃殂落。

(二十有八載、帝乃ち殂落す。)

 

ここに見える「殂落」という語はやはり死を意味するもの。

そしてこの「帝」というのは

あの伝説上の優れた主君である堯帝(ぎょうてい)のことなのです。

 

そんな堯帝の死にも用いられた

「殂」の字が用いられている劉備。

 

陳寿は劉備を真の皇帝であると言いたかったと

考えることもできるのではないでしょうか?

 

陳寿が堂々と蜀を正統と主張できなかった理由

陳寿

 

他にも細々とした表現を駆使して

蜀漢の正統性を訴えている陳寿。

 

いっそ堂々と蜀が正統だと主張してよかったのは?

と思う人も少なくないでしょう。

 

しかし、それができなかったのには

深いわけがあったのです。

 

実は、陳寿が蜀の次に仕えた西晋王朝は

魏から禅譲(ぜんじょう)によって帝位をおくられた王朝。

 

その魏が正統ではないと陳寿が大々的に主張すると、

西晋王朝の根本を揺るがす事態になってしまいかねないのです。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

そういうわけで、

陳寿は形式上だけでも魏を正統とせざるを得なかった…。

 

そこで、細かい文字に陳寿は自分の主張を託したのです。

自分の並べた文字を一字一句丁寧に読んでくれる人に向けて。

 

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