諸葛恪は幼いころから優秀で多くの孫呉の家臣からも期待をもたれていた人でした。
また孫権は彼の臨機応変な才能を気に入っていたそうです。さらに父諸葛瑾からは「家を大きくするのはこの子」と言わしめた人です。さてこれだけほめられていた諸葛恪ですが、欠点などあるのでしょうか。今回は彼の欠点を調査してみました。
諸葛恪の欠点その①:大雑把な性格
諸葛恪の欠点を正史三国志などで調べてみると色々と発見することができましたので紹介していきましょう。はじめに諸葛恪の欠点その①として大雑把な性格をあげることができます。諸葛恪のどこら辺が大雑把な性格なんでしょうか。このようなエピソードが残っています。
孫権は食料を管理する役職を作り、初代の食糧管理の役職の人が亡くなると諸葛恪をこの役職に任命します。諸葛瑾の弟・諸葛孔明はこのことを伝え聞くと孫呉の重鎮・陸遜へ
「兄は老いてしまい、重要な役目を担うことができなくなってしまいました。本来であれば孫権様が新しく設置した食料管理の役職は兄が就くべきなのですが、息子の諸葛恪が就いたことを先ほどお聞きしました。そこであなた様にお願いがあるのですが、諸葛恪は性格が大雑把で管理する役職などには向いていません。そのため孫権様に諸葛恪を食料管理の役職からはずしてもらうように伝えていただけませんでしょうか。軍には食糧の管理が大切であり諸葛恪には向きませんので、よろしくお願いします。」と送るのでした。
陸遜 は孔明のアドバイスを聞き入れて孫権に諸葛恪じゃない人に食糧管理をさせるようにお願いします。孫権は陸遜 のお願いを聞いて諸葛恪を食糧管理の役職から外す事にするのでした。孔明が危惧を抱くほど大雑把な性格をしていた諸葛恪。彼の欠点といえるところでしょう。
諸葛恪の欠点その②人の意見を聞かない
諸葛恪の欠点その②としては人の意見を聞かない所です。諸葛恪は東興の戦いで大勝利した翌年、再び大軍を率いて魏の領土へ攻め込む作戦を立案し会議にかけるのでした。孫呉の人々は諸葛恪の作戦を聞いて「やめた方がいい」と反対意見を述べる人がいっぱいいました。しかし諸葛恪は「うるせぇ!!俺が昨年魏に大勝利したの忘れたのか。俺しか魏を打ち破れないんだから反対意見なんていうんじゃねーよ」と言ってブチきれてしまいこの意見を押し通して作戦を行います。
この作戦には孫呉の家臣団だけでなく領民も反対していましたが、すべての意見を無視して諸葛恪は作戦を実行するのでした。そして結果は大敗北で終わってしまいます。諸葛恪は人の意見に耳を傾けない所は大きな欠点といえるのでしょう。
諸葛恪の性格その③負けず嫌いな誰にでも噛み付く困った性格
諸葛恪の欠点その③は負けず嫌いな性格でしょう。負けず嫌いなのは悪いことではありませんが誰に対しても負けず嫌いだからといって噛み付いてはいけないと思いませんか。しかし諸葛恪は負けず嫌いで誰にでも噛み付いてしまうのです。このようなエピソードが残っています。
諸葛恪は孫権の息子孫登の側近となったとき、孫登がからかって「お前は馬の糞でも食ってろ」と言われてしまいます。諸葛恪はちょっと考えた後、「では孫登様には鳥の卵を食べていただきましょう」と述べるのでした。孫権はこの話を聞いて諸葛恪へ「どうして孫登から馬の糞を食えといわれて、君は鳥の卵を孫登に食えなんていったんだい」と質問。すると諸葛恪は「出所が一緒じゃないですか」と孫権に答えるのでした。孫権はこの話を聞いて笑っていたそうです。
しかし孫権は諸葛恪を可愛がっていたから笑って済ませることができましたが、普通に考えれば王様の息子に対して負けず嫌いだからといって噛み付くのはかなり礼を失っているといえるのではないのでしょうか。このことをよく考えれば、目上の人に対しても平然と噛み付く性格だと言え、目上の人が役にたたない人なればいいかもしれませんが、陸遜 のような有能な人に対しても噛み付いていたのであれば困った性格だと思いませんか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は諸葛恪の欠点を紹介しました。三国志の作者・陳寿は「諸葛恪は才気にあふれ、大きな展望をもって働く事ができ、国内の人々の賞賛を受けていたが、傲慢であった事を誇って他人を見下していたのだから、身を滅ぼすことも当然」と評価。かなり手厳しい評価がされていますが、諸葛恪の欠点はそれだけ致命的な事だったと言えるのではないのでしょうか。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志呉書など
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