三国志で名門といえば袁紹の名前が必ず挙がるでしょう。彼の名前が現在の人に名門として有名になったのはゲームや小説のおかげでしょう。
そして三国志で一番暴虐な人物といえば董卓の名前が一番最初に挙がるはずです。三国志の中である種の有名人の二人ですが、董卓がいなければ袁紹が群雄として三国志の表舞台に立てなかったかもしれないのです。
董卓後漢王朝の皇帝に疑問を持つ
何進は皇帝の近くにいる宦官を一人残らず殺害する作戦を発動しようと計画していましたが、宦官に殺害されてしまいます。袁紹は何進が宦官に殺害されたことを知るとすぐに何進の敵討ちを行うため、宦官を討伐するべく軍勢を動かします。
この結果、洛陽は大混乱になります。董卓は大混乱している洛陽から逃げてきた皇帝を保護し洛陽へ入城。董卓は一緒に逃亡していた皇帝一行を保護した際、洛陽の状況を確認するため、色々と聞きますが何を聞いても泣いてばかりで、要領を得ない答えしか返って来ません。しかし皇帝の弟・陳留王は皇帝に代わって董卓の答えにちゃんと答えてを述べます。そのため董卓は泣いてばかりの皇帝がこのまま後漢王朝の皇帝でいいのか疑問に思うのでした。
袁紹を呼び寄せて相談する董卓
董卓は袁紹を呼び寄せて「俺さあのぼんくら皇帝を引き摺り下ろして、陳留王を皇帝にしようと考えてんだけどどう思う」と相談を持ちかけます。袁紹は董卓の話を聞いてビックリしますが「この事は私の一存で決めることができないので、叔父が太傅なので相談してきます。」と即答することを避けるでした。袁紹は董卓の元を去るとすぐに洛陽から逃亡してしまうのでした。
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董卓逃げた袁紹に激怒するも…
董卓は袁紹が逃亡してしまったことを知ると激怒。すぐに彼を殺害するよう命令を出そうと考えます。しかし袁紹をかばうため後漢王朝の名門グループの人々が必死に董卓へ袁紹の助命嘆願を行います。名士グループの人々は董卓へ「董卓様、袁紹はあなた様の相談にビックリして逃亡しただけで、何か悪いことをたくらんで逃げたわけではありません。今董卓様が袁紹を殺害する命令を諸国へ出せば、袁紹も馬鹿じゃないので、董卓様に反旗を翻すはずです。
もし袁紹が反旗を翻せば各地の諸侯は袁紹に味方をし、董卓様といえどかなりてこずることになるでしょう。そのためここは袁紹を太守に任命して彼に恩を売るのがいいでしょう。袁紹は太守に任命されれば喜んで董卓様の元へ出頭してくるはずです。」とアドバイスするのでした。董卓は彼らの意見を聞いて自らの怒りを抑えることにします。
袁紹が太守に任命される
董卓は名士グループの意見を採用することに決めます。そして董卓は袁紹の逃亡の罪を許して渤海の太守の位を与えることに。さらに董卓は袁紹へ太守の位だけでなく、侯の位までプレゼントすることで「俺はお前に怒ってないんだからね」アピールをするのでした。しかしこの董卓の作戦は失敗してしまい、袁紹は太守の地位を利用して兵力を集めて董卓討伐を行う連合軍を結成してしまうのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
董卓は袁紹を取り込もうと太守の地位と侯の位を与える太っ腹なところを見せます。だが袁紹は董卓の作戦にはまることなく、名士の力を結集して董卓を討伐するべく軍事力の増強に努めてしまうのでした。そのため董卓は袁紹に太守の地位等を与えてそのまま彼の力を伸ばしてしまったことになると思います。
しかし董卓が太守の地位を袁紹に与えた事で彼の力を伸ばすことになったおかげで、彼は群雄として他の群雄より抜きん出きることができたと考えられるのはないのでしょうか。
参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志魏書】など
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