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曹丕のグルメエピソードがまたひとつ鍾繇が送った五熟鍋とは?

2018年9月22日


 

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スイーツ曹丕

 

 蜜柑(みかん)葡萄(ぶどう)(なし)の為に詩を書いてスイーツ男子として知られる曹丕(そうひ)

今回、そんな曹丕が鍋料理(なべりょうり)にも造詣が深い事が明らかになりました。

今回は曹丕が愛した五熟鍋(ごじゅくなべ)について紹介しましょう。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹丕の食通仲間、鍾繇がプレゼントした五熟鍋

 

魏略(ぎりゃく)によると、鍾繇が相国の地位に登った時、まったく新しい鍋として、

五熟鍋を考案して、その鋳型を造って曹丕に送り鍋を設計して欲しいと頼んだようです。

この五熟鍋とは、鍋の中に仕切りがあり、それぞれに材料を入れて煮込み

一つの鍋で5つの味覚が楽しめるというもので、現在は鴛鴦鍋(おしどりなべ)として

知られています。

 

 

 

太子曹丕、五熟鍋を激賞

太子曹丕、五熟鍋を激賞

 

グルメな曹丕は、この五熟鍋を使って鍋を楽しんだようで

しばらくして鍾繇に書簡を送って激賞しました。

 

「昔、黄帝の三鼎(さんてい)、周の九宝はひとつの鍋で多くの材料を煮る大雑把な物で

この五熟鍋のように5つの滋味を同時に味わう事が出来なかった。

そもそも、鼎で煮た食べ物はまず上帝に差し上げ、次に大臣がこれを味わい

聖人賢者を養い、徳を明らかにして福を祈る物であった

だから、徳の高い人間でなければ、この鍋を製造できない

五熟鍋は、かつての鍋を超えた美点があり、まさに鍾元常(しょうげんじょう)が製造するに

ふさわしい鍋である」

 

 

うーん、なんというか、たかが鍋一つでこんなに褒めるか?という感じですが、

かつて梨は凄く甘ーい事や、益州では肉料理に蜂蜜かけるというだけで

詔を発した曹丕の事です。

美味しい物は人々を幸福にするという哲学でもあったのでしょうか?

 

時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記はじめての西遊記

 

古人にならい五熟鍋に銘を鋳込んじゃうよ

五熟鍋に銘を鋳込んじゃうよ

 

しかし、曹丕の激賞は実は序の口でした、書簡はさらに続きます。

 

「そもそも周の尸臣(ししん)、宋の考父(こうほ)、衛の孔悝(こうり)、晋の魏顆(ぎか)、あの4人の大臣は

いずれも功業功徳によって、その名を鐘や鼎に刻まれた。

今、執事(鍾繇)には大魏を輔翼(ほよく)して、そのお陰で堂々たる君の徳は

盛大なものになった。

まことに太常が銘文を造るにふさわしく祭器に刻み付けるにふさわしい

従って、この銘文を造り、これを釜の口に刻み付けた。

大いなる美質を讃え、この功業が永遠に後世に伝わる事を望む」

 

 

かくして曹丕は、五熟鍋に銘文を刻みつけて、

考案者の鍾繇に与えたというのです。

 

 

これは恥ずかしい激賞しすぎの五熟釜の銘文

鼎

 

では、曹丕は鍾繇に下賜した五熟鍋にどんな銘文を刻んだのでしょう。

記録によると以下のようなものです。

 

「ああ、魏国はますます盛んだなあ、、漢朝を支えて藩国となったよ。

その中でも相国の鍾繇は、胸と背骨を働かせ、朝も夜も静かで慎み深い

毎日、身を落ち着かせず動き回り、百官のお手本になる人だ」

 

これは、鍾繇を盛大に褒めている内容ですが、

さすがに、こんな銘文が彫られた五熟鍋で鍋パーティーをするのは

かなり恥ずかしいのではないでしょうか?

それとも、公に褒められた事なので、憶する事なく堂々と

客を招いて五熟鍋を披露したのか・・

   

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

鍾繇は曹操(そうそう)から送られた見事な玉玦(ぎょくけつ)を持っていて、

当時、太子だった曹丕は、それを欲しいと思っていましたが、

自ら欲しいとは言い出せず、弟の曹植(そうしょく)に頼んで文面を作成し、

荀コウを伝手に遠まわしに欲しいと頼み、

鍾繇は即座にこれをプレゼントしています。

 

どうも鍾繇が曹丕に気に入られたのは、それが契機のようです。

この時も、曹丕は貰った玉玦を力いっぱい褒めています。

五熟鍋の現在の名前は鴛鴦で、これはおしどりの意味になり、

もしかすると、鍾繇と曹丕は五熟鍋を仲良く突く仲だったのかも・・

 

美しい物を飽くなきまでに求めた曹丕の性格を知り抜いた鍾繇は

一度、魏楓(ぎふう)の乱で失職しますが、曹丕が即位するとすぐに

再登板の機会を与えられ高位のまま天寿を全うしました。

 

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袁術くんの成長日記


 
 
 

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