蜜柑や葡萄、梨の為に詩を書いてスイーツ男子として知られる曹丕、
今回、そんな曹丕が鍋料理にも造詣が深い事が明らかになりました。
今回は曹丕が愛した五熟鍋について紹介しましょう。
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曹丕の食通仲間、鍾繇がプレゼントした五熟鍋
魏略によると、鍾繇が相国の地位に登った時、まったく新しい鍋として、
五熟鍋を考案して、その鋳型を造って曹丕に送り鍋を設計して欲しいと頼んだようです。
この五熟鍋とは、鍋の中に仕切りがあり、それぞれに材料を入れて煮込み
一つの鍋で5つの味覚が楽しめるというもので、現在は鴛鴦鍋として
知られています。
太子曹丕、五熟鍋を激賞
グルメな曹丕は、この五熟鍋を使って鍋を楽しんだようで
しばらくして鍾繇に書簡を送って激賞しました。
「昔、黄帝の三鼎、周の九宝はひとつの鍋で多くの材料を煮る大雑把な物で
この五熟鍋のように5つの滋味を同時に味わう事が出来なかった。
そもそも、鼎で煮た食べ物はまず上帝に差し上げ、次に大臣がこれを味わい
聖人賢者を養い、徳を明らかにして福を祈る物であった
だから、徳の高い人間でなければ、この鍋を製造できない
五熟鍋は、かつての鍋を超えた美点があり、まさに鍾元常が製造するに
ふさわしい鍋である」
うーん、なんというか、たかが鍋一つでこんなに褒めるか?という感じですが、
かつて梨は凄く甘ーい事や、益州では肉料理に蜂蜜かけるというだけで
詔を発した曹丕の事です。
美味しい物は人々を幸福にするという哲学でもあったのでしょうか?
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
古人にならい五熟鍋に銘を鋳込んじゃうよ
しかし、曹丕の激賞は実は序の口でした、書簡はさらに続きます。
「そもそも周の尸臣、宋の考父、衛の孔悝、晋の魏顆、あの4人の大臣は
いずれも功業功徳によって、その名を鐘や鼎に刻まれた。
今、執事(鍾繇)には大魏を輔翼して、そのお陰で堂々たる君の徳は
盛大なものになった。
まことに太常が銘文を造るにふさわしく祭器に刻み付けるにふさわしい
従って、この銘文を造り、これを釜の口に刻み付けた。
大いなる美質を讃え、この功業が永遠に後世に伝わる事を望む」
かくして曹丕は、五熟鍋に銘文を刻みつけて、
考案者の鍾繇に与えたというのです。
これは恥ずかしい激賞しすぎの五熟釜の銘文
では、曹丕は鍾繇に下賜した五熟鍋にどんな銘文を刻んだのでしょう。
記録によると以下のようなものです。
「ああ、魏国はますます盛んだなあ、、漢朝を支えて藩国となったよ。
その中でも相国の鍾繇は、胸と背骨を働かせ、朝も夜も静かで慎み深い
毎日、身を落ち着かせず動き回り、百官のお手本になる人だ」
これは、鍾繇を盛大に褒めている内容ですが、
さすがに、こんな銘文が彫られた五熟鍋で鍋パーティーをするのは
かなり恥ずかしいのではないでしょうか?
それとも、公に褒められた事なので、憶する事なく堂々と
客を招いて五熟鍋を披露したのか・・
三国志ライターkawausoの独り言
鍾繇は曹操から送られた見事な玉玦を持っていて、
当時、太子だった曹丕は、それを欲しいと思っていましたが、
自ら欲しいとは言い出せず、弟の曹植に頼んで文面を作成し、
荀コウを伝手に遠まわしに欲しいと頼み、
鍾繇は即座にこれをプレゼントしています。
どうも鍾繇が曹丕に気に入られたのは、それが契機のようです。
この時も、曹丕は貰った玉玦を力いっぱい褒めています。
五熟鍋の現在の名前は鴛鴦で、これはおしどりの意味になり、
もしかすると、鍾繇と曹丕は五熟鍋を仲良く突く仲だったのかも・・
美しい物を飽くなきまでに求めた曹丕の性格を知り抜いた鍾繇は
一度、魏楓の乱で失職しますが、曹丕が即位するとすぐに
再登板の機会を与えられ高位のまま天寿を全うしました。
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