曹操軍の最古参の一人に数えられる夏侯淵。夏侯淵は漢中の守備を任されることになり、この時彼のアドバイザーとして曹操からある人を付けられます。その人の名前を郭淮と言います。後に魏の重鎮として活躍することになる郭淮ですが、この頃はまだ若く戦の経験も乏しい武将でした。そしてあることがきっかけで郭淮は才能を開花させることになります。
夏侯淵の部下に
郭淮は孝廉に推挙されると平原府の丞に任命され、その後曹操の漢中征伐に参加することに。そして曹操は漢中を手に入れると夏侯淵を漢中の守備司令官として配置し、張郃や徐晃等の歴戦の将軍を夏侯淵の指揮下に入れます。更に曹操は夏侯淵の官吏として郭淮が付けられます。
無念!!劉備軍との戦いに参加できなかった
郭淮は夏侯淵の元で働くことになります。しかし郭淮は持病を持っており、戦に耐えられるような体ではありませんでした。郭淮の病気は曹丕が皇帝に即位した時にも発病してしまい、曹丕に怒られたこともあります。そんな郭淮ですが、蒼天航路の郭淮は夏侯淵へ色々とアドバイスをしていましたが、史実では郭淮は病がちで夏侯淵が劉備と戦っていた時、出陣することができなかったそうです。
そして夏侯淵は劉備と激闘を行い、討ち死にしてしまいます。郭淮は病気で出陣できなかったとは言え、夏侯淵が苦しい時に一緒に戦えなかったのはかなり悔しかったのではないのかなと思います。さて夏侯淵が亡くなった事で漢中を守る総司令官がいなくなります。そのため魏の軍中では大混乱になってしまいます。
郭淮の才能1:適切な判断で混乱を鎮静化させる
郭淮は夏侯淵が討ち死にしたことが原因で軍中が大混乱していることを知ると急いで兵士や武将達を集め、張郃を漢中守備司令官にするべきであると諸将に同意を求めます。この郭淮の提案に諸将は賛成し、張郃も承諾した事で軍中は大混乱している状態から立ち直ることに成功します。しかしまだまだ魏の陣営は困難な状態にありました。
郭淮の才能2:劉備軍の勢いを削ぐ
劉備軍は夏侯淵を討ち取った事勢いで漢中を手に入れようと進撃を開始。この時劉備軍は漢水を渡って攻撃をしてくるであろうと魏の陣営に報告が入ります。張郃は諸将を集めて会議を開きます。諸将は「劉備軍には勢いがあるから漢水沿いに陣営を作って固く守っているのが最善だろう」と張郃へ提案。
張郃も諸将の意見が最善であろうと考えていましたが、郭淮が反対意見を述べます。郭淮は「陣営を固く守っているは最良の作戦ではありません。ここは漢水よりも遠くに陣営を作って劉備軍が漢水を半分位わたってから攻撃を仕掛ければ簡単に打ち破ることができるでしょう。」と張郃を含めた諸将へ提案します。
張郃や他の将軍達は郭淮の意見を聞いて賛成し、劉備軍が渡ってくる漢水の水際よりも遠くに陣営を作って劉備軍の襲来を待ち受けることに。劉備は魏軍に何か作戦があるのではないのかと勘ぐり、漢水を渡らずに漢水をはさんで対峙する方法を選ぶのでした。
郭淮の作戦のおかげで曹操がやってくるまで、漢中全域を劉備軍に奪われることなく、漢中の一部を守ることに成功するのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
魏にとっては重鎮の夏侯淵が亡くなった事は大きな損失でした。しかし夏侯淵の死によって郭淮の新たな才能が開花することになります。
そのため魏にとって夏侯淵が亡くなった事で郭淮の才能が開花した事を考慮すれば、人材的な損失はあまり出なかったと言えるのではないのでしょうか。また郭淮と夏侯淵のエピソードの見方を変えれば人によっては何か大きな衝撃があった方が成長スピードが急激に上がる事を物語っているのではないのでしょうか。
参考 【ちくま学芸文庫 正史三国志魏書】等
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