劉備は張魯のおかげで三国志の英雄になれた!?

2018年11月9日


 

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張魯

 

三国志の物語に登場する人物の中でも屈指の人気を誇っている劉備(りゅうび)

劉備は三国志の()()(しょく)の三つの国の中の蜀を建国したことで有名な人物なのは、三国志を知っているみなさんもしくは三国志を詳しくない人で

も知っていると思います。

劉備が蜀の国を作ることができたのは色々な出来事があったのですが、この出来事の一つに漢中の主・張魯(ちょうろ)が関係しているのを

みなさんご存知でしょうか。

そしてこの漢中の主・張魯が三国志に登場していなければ、劉備が蜀を建国することができずにいたかもしれないのです。

 

関連記事:劉備より先に五斗米道の教祖・張魯が漢中王になった可能性が浮上

関連記事:98話:曹操、張魯を降すべく漢中に進軍する

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備の蜀建国は張魯のおかげ!?

劉備の蜀建国は張魯のおかげ

 

劉備は張魯のおかげで蜀を建国することができた可能性があるのですが、どうして張魯のおかげで劉備は蜀を建国することができたのでしょうか。

劉備は張魯のおかげで蜀を建国することができたと上記で説明しましたが、それは一体どうしてなのか。

二人にはなにか共通点があるのでしょうか。

正史三国志等を調べてみましたが二人に接点はほとんどありません。

それどころか劉備と張魯のふたりが顔を合わせたことも多分ないと思われます。

劉備はどうして張魯のおかげで蜀を建国することができたのでしょうか。

 

 

 



劉璋と張魯の関係に秘密アリ!?

劉璋と張魯の関係に秘密アリ

 

ここで劉備と張魯の関係性から離れ、そもそも劉備が蜀を手に入れることになった契機について見てみたいと思います。

劉備はどうして蜀を手に入れることになったのか。

それは劉璋(りゅうしょう)から協力要請を受けることになったからです。

さてここでもう一つ疑問が出てくると思います。

その疑問とは劉璋が劉備へ何のために協力要請を送ったのか。

この疑問の答えに張魯が深く関係してくることになります。

 

三国志平話

 

張魯と劉璋は敵対関係にあった!!

張魯と劉璋は敵対関係にあった

 

劉璋と張魯は互いに憎しみあうほどの深い敵対関係にありました。

劉璋は張魯を討伐するべく何度も何度も張魯へ攻撃を仕掛けますが、張魯を討伐することができませんでした。

劉璋は自分達だけでは張魯を討伐できないと考え、外部から援軍を得て張魯を討伐しようと計画を行います。

 

 

曹操と仲良くなろうとするが・・・・

曹操と仲良くなろうとする張松

 

劉璋は始め曹操と仲良くして張魯を討伐してもらおうと考え、使者を何度も派遣します。

最初は曹操と仲良くすることができ、官職等を得ることができました。

劉璋は曹操へ幾度目かの使者として張松を曹操の元へ派遣。劉璋は張松が曹操の元から帰ってくると彼から

「曹操は我らを軽く見ており、冷たくあしらわれてしまいました。今後は曹操と付き合うのはやめるべきでしょう。」と報告を受けます。

劉璋は張松の今までと違って冷遇されたとの報告を受けて曹操と仲良くするのをやめてしまいます。

 

劉備へ張魯討伐を要請

劉備へ張魯討伐を要請

 

劉璋は曹操と仲良くするのをやめますが、次に誰を頼ればいいのか迷ってしまいます。

この時張松は「劉備を頼ってみるのはいかがでしょうか。殿と劉備は同族ですし必ず力になってくれましょう」とアドバイス。

劉璋は張松のアドバイスを採用し、劉備へ使者を送り仲良くする方針に決めます。

この時劉璋の使者となって派遣されたのが法正です。

劉璋は劉備へ法正を使者として派遣し仲良くなることに成功。

そして劉璋は劉備へ張魯を討伐してくれるようにお願いするべく再び法正(ほうせい)を派遣します。

この結果劉備は劉璋のお願いを受け入れ、張魯を討伐するべく蜀の国へ向かう事になるのです。

   

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

劉備は張魯がいなければ蜀の国へ入ることもできず、蜀の国を作ることはもとより、三国を形成するような大勢力を作り上げることも

できなかったでしょう。

このように考えれば張魯のおかげで劉備が蜀の国を作ることができ、三国志の三国の内の一つを作り上げることができたと行っても

過言ではないと思うのですが、皆様はどのように思いますか。

 

参考文献 正史三国志蜀書等

 

関連記事:張松(ちょうしょう)の裏切りがなければ劉備の蜀制圧は不可能だった?

関連記事:劉備を唯一なだめられた、法正(ほうせい)ってどんな軍師?

 

民間伝承の三国志

 
 
 

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