【衝撃の事実】厳顔は老将なんかじゃなかった!?

2018年11月21日


 

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厳顔

 

厳顔(げんがん)はみなさんのイメージの中でどのような人物でしょうか。

多分みなさんのイメージは老将ってイメージが強いと思いますが、ヒゲを生やした好々爺(こうこうや)でしょうか。

それとも戦場で馬に乗って戦い続ける老将でしょうか。

 

レンのイメージは三国志のシュミレーションゲームの印象が強いです。

黄忠に似て白ひげでいかつい感じの表情をした老将ってイメージです。

このように厳顔は老将ってイメージが強い人物だと思いますが、実は老将なんかじゃなかったのを知っていますか。

 

関連記事:黄忠や厳顔のような老兵は実際に戦争では最前線に立っていたの?

関連記事:103話:黄忠・厳顔の老将コンビ大活躍|年寄りをなめるな!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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厳顔は老将なんかじゃなかった!?

厳顔は老将なんかじゃなかった!?

 

厳顔と言えば老人のイメージが強いと思います。

しかし正史三国志には厳顔が老人もしくは老将であるような記載は一切なく後世に創作されたイメージだったのです

ではどうして厳顔が老人であるイメージが付いてしまったのでしょうか。

 

 

 



老将のイメージが着いたのは三国志演義が原因!?

老将のイメージが着いたのは三国志演義が原因

 

厳顔の老将イメージが定着してしまったのは一体何が原因なのでしょうか。

それは三国志演義(さんごくしえんぎ)が原因だと思われます。

 

三国志演義は厳顔を老将として設定した為、現代でもゲームやアニメの多くが三国志演義の物語を引用していることから、

厳顔も老将イメージが定着してしまったものと思われます。

 

ではどうして三国志演義は厳顔を老将として定着させてしまったのでしょうか。

ここからはレンの推測を紹介したいと思います。

 

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厳顔老将説「レンの推測編」

張飛

 

レンは三国志演義が厳顔を老将として描いた原因は張飛(ちょうひ)に降伏したエピソードが原因だと考えます。

厳顔が張飛へ降伏したエピソードはこのようなものです。

張飛は益州攻略戦に参加した時、厳顔が籠城している巴の城を攻撃します。

張飛は巴の城を激しく責め立てて陥落させることに成功し、この城を守っていた厳顔を捕縛することに。

 

その後張飛はこの城を守っていた厳顔を連れてこさせると

「貴様!!どうして降伏しなかったんじゃ」

と激怒

すると厳顔は張飛へ

「益州の将軍には誰ひとりとして降伏するものはいないんじゃ」

と顔色一つ変えずに堂々と反論します。

 

張飛はこの厳顔の態度にブチギレて殺害しようとしますが、厳顔が臆することなく死刑場へ連れて行かれる姿を見て、彼の縄を解いて

賓客(ひんきゃく)として迎えるのでした。

 

レンはこの時の厳顔の堂々とした態度と老人のように落ち着いた物腰から三国志演義で厳顔が老人としてのイメージが付いてしまったのではないのかな

と考えます

このように老人イメージが定着してしまった厳顔ですが、最後に三国志演義における彼の活躍を紹介しましょう。

 

 

三国志演義における厳顔の活躍とは??

張郃

 

厳顔が三国志演義で活躍することになったのは黄忠(こうちゅう)とコンビを結成することに。

その後厳顔は黄忠と組んで漢中争奪戦で活躍し、魏の名将・張郃(ちょうこう)を打ち破る活躍を見せます。

 

更に厳顔と黄忠のコンビは定軍山での戦いでも活躍し、多くの敵兵をバタバタとなぎ倒します。

そして黄忠においては魏の漢中守備司令官・夏侯淵(かこうえん)を討ち取る大戦果を上げることに成功するのでした。

「老当益壮:老いてますます壮なり」の言葉がぴったりと似合う厳顔と黄忠を紹介しました。

   

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

定軍山での戦いで活躍した厳顔ですが、三国志演義でその後も活躍したのでしょうか。

厳顔は定軍山の戦いを最後に三国志演義では活躍したとの記載が無くなってしまいどうなったのか分からなくなってしまいます。

そのため厳顔がいつ頃亡くなったのかもわからない状態です。

 

しかし近年中国で厳顔のお墓が見つかったとの報告があったそうですが、厳顔のお墓であるとの決定的な証拠にかけているので

本当に厳顔のお墓なのかはわからないそうです。

 

ですが本当に厳顔のお墓であるならば、今までベールに包まれていた厳顔の本当の姿がわかるかもしれません。

何か新しい情報が入り次第はじさんで取り上げたいと思います。

【参考文献】 正史三国志蜀書など

 

関連記事:91話:張飛の大手柄 蜀将の厳顔を味方にする

関連記事:張飛はどんな性格をしてたの?豪傑の性格に迫る

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門はじめての邪馬台国

 

 
 

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