厳顔の最後はとっても○○だった!!

2018年11月22日


 

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厳顔

 

蜀の代表的な老将の一人・黄忠(こうちゅう)ではなく・・・・厳顔(げんがん)。黄忠の相棒として戦で活躍した人物ですが、彼の最後は一体どのような最後を迎えることになったのでしょうか。今回は厳顔の最後に迫ってみたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀の老将のシビれる最後とは!?「黄忠編」

五虎大将軍の黄忠

 

 

蜀の老将達はシビれる最期を迎えている人物が多数います。例えば黄忠は三国志演義でシビれる最期を迎えています。黄忠の最後は夷陵の戦いにおいてです。

 

 

三国志の武器 床弩 黄忠

 

彼は夷陵の戦いの時、劉備(りゅうび)にバカにされた事に怒り、部下数十人を引き連れて孫呉の陣へ突撃。この時黄忠は孫呉の陣へ突撃し敵兵をバタバタとなぎ倒し、自分が老将でも活躍できることを証明します。

 

弓の名人・黄忠

 

 

しかし黄忠は自分の陣営に帰るとき、孫呉の将軍が放った弓矢を受けてしまいますが、倒れることなく帰陣。

 

黄忠

 

ですが黄忠はこの時受けた弓矢の傷が悪化して亡くなってしまいます。最後に一花咲かせた黄忠の最後にシビれませんか。

 

 

 



蜀の老将のシビれる最後とは!?「廖化編」

廖化

 

黄忠だけでは物足りない方へもう一人紹介しましょう。その人物の名前は廖化(りょうか)です。彼は関羽(かんう)の部下として仕えていましたが、関羽死後孫呉に降伏。しかし廖化は孫呉に仕える自分を許せず、老いた母を連れて荊州から逃亡します。

 

その後廖化は夷陵の戦いに出陣していた劉備と合流し、そのまま蜀へ復帰し、孔明(こうめい)の北伐戦に参加して幾度も戦功を上げていました。廖化は孔明死後も姜維(きょうい)の北伐戦に参加して勲功を挙げ、歴戦の将軍として蜀軍の中で重きをなしていきます。

 

三国志 剣閣のお城

 

更に廖化は蜀と魏の最終決戦である剣閣(けんかく)の戦いにも参加し、蜀軍が滅亡するまで蜀のために戦い続けるのでした。蜀滅亡後廖化は力尽きたのか洛陽へ向かう途中に亡くなってしまうのでした。この時廖化は70歳をいくつか過ぎていたようです。蜀のためにその身を捧げた廖化。彼の最後にシビれる読者は多いと思います。

 

夷陵の戦い

 

 

厳顔も彼らと同じようにシビれる最期を迎えたのか??

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

上記で蜀の老将達の最期を紹介しましたが、厳顔も彼らと同じような最期を迎えたのでしょうか。正史三国志や他の歴史書を調べてみました。すると厳顔の最後はなんと記載されていません

 

厳顔の最後が記載されていないどころか彼の活躍しているシーンすら見当たりませんでした。では厳顔はどのような最期を迎えたのか。ここからは厳顔の最後が正史三国志や他の歴史書に記載されていないため推測になってしまいます。

 

 

 

「厳顔の最後」をレンが推測してみたよ

さっさと処刑しろと張飛にキレる厳顔

 

厳顔はどのような最後を迎えたのかレンが推測してみました。レンは厳顔が歴史書に活躍や最後が描かれていないところを考え、張飛(ちょうひ)に降伏した後、戦いから身を引き静かな余生を過ごしたのではないのでしょうか。このように考えるのであれば、正史三国志や他の歴史書に彼の名前が載っていないと考えることが出来るのですが、みなさんはどのように思いますか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は厳顔の最後について紹介させていただきました。厳顔の死が描かれていないという事は、レンの想像通り、張飛に降伏した後、官職を貰わずにそのまま引退し、穏やかな死に方を厳顔がしたのかもしれません。

 

さっさと処刑しろと張飛にキレる厳顔

 

また厳顔は張飛に降伏した後、数十日後に疫病にかかってしまい苦しんで亡くなったのかもしれません。このように厳顔の死が歴史書に描かれていないと言うことは、三国志の読み手が色々な想像を膨らませてしまってもいいと言うことではないのでしょうか。

 

みなさんは厳顔が穏やかに亡くなったと思いますか。それとも疫病にかかって苦しんで亡くなったと思いますか。このように色々な妄想を膨らませるのも三国志や他の時代の歴史を楽しむひとつの方法かもしれませんね。

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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