劉琦が劉備と諸葛亮に利用されていた理由とは?

2018年12月10日


 

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蜀の劉琦

 

劉表(りゅうひょう)()の長男に生まれ劉表の跡取りとなるはずだった劉琦(りゅうき)ですが、弟・劉琮(りゅうそう)に後継者の座を奪われてしまい、命の危険を感じるほど困ってました。そんな劉琦は諸葛亮(しょかつりょう)のアドバイスもあり、劉表の元から去り劉備(りゅうび)と合流し、赤壁の戦いの後一緒に戦っていくことになるのですが、実は劉備と諸葛亮に利用されていたのです。人徳の人物として知られる劉備ですが、本当に劉琦を利用していたのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮のアドバイスからすべてが始まる

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

劉琦は弟の劉琮が劉表の側近や側室から後継者として祭り上げられている事を知り、不安で不安で困っていました。劉琦はこの不安を解消するため新しく劉備の軍師として加わった諸葛亮にアドバイスを聞こうと考えます。劉琦は諸葛亮に「孔明先生!私困っているんです。アドバイスをください!!」とお願いしようと考えていましたが、諸葛亮から避けられてしまい、中々アドバイスを聞くチャンスがありませんでした。

 

しかし劉琦は諸葛亮から避けられてもめげず、諸葛亮に避けんなオーラ全開で飲みに誘います。諸葛亮も劉琦のオーラに圧倒されたのか彼の誘いを断ることができずに飲みに行くことにします。劉琦は諸葛亮を高台の一番上で二人きりになり、飲み会を開催。この時劉琦は諸葛亮に自分の状況を説明しアドバイスを乞うことに。諸葛亮は劉琦へ「父上の元から離れてみるのはどうですか」と提案。

 

劉琦は諸葛亮のアドバイスを喜んで聞き入れ、諸葛亮のアドバイス通り、劉表の元から離れることにします。こうして劉琦は江夏太守として赴任することになり、劉表の元を離れるのでした。さてここで気になるのはどうして今まで劉琦の事を避けていたのに諸葛亮が劉琦へアドバイスをしたのかです。ここからはレンの推測になります。

 

 

 



天下三分の計と劉家のお家騒動が原因

車に乗る諸葛亮

 

諸葛亮が劉琦へアドバイスをした理由は二つあると考えることが出来るでしょう。一つ目は劉琦を旗頭とすることで劉琦に心を寄せている人々を劉備の戦力として加えようとしたと考えることができます。その証左として劉琦は諸葛亮のアドバイスを聞いて江夏太守として赴任後、曹操(そうそう)軍から追われてきた劉備と合流し、劉備軍の戦力となっています。また諸葛亮は劉琦を旗頭とし、劉表死後、劉備が荊州を統治する為の大義名分として劉琦を旗頭にしていれば、荊州から劉備の元に加わってきた者達や荊州に住んでいる民衆たちの反発をある程度抑えることができます。

 

天下三分の計を唱える諸葛亮孔明

 

そしてもう一つは諸葛亮が劉備に説いた天下三分の計が関係してきます。諸葛亮は劉備に隆中で、天下三分の政略方針を授けています。天下三分の計とは中原を統一した曹操、江東を保有している孫権(そんけん)

 

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

そして三つ目の勢力として劉備がなる事で国力を増強しつつ、孫呉と手を組んで魏を滅ぼす方策を示しています。しかしこの政略が完成するための絶対条件としては劉備が生きていなければなりません。劉備は当時、劉表の客分であり勢力を保有するほどの力を持っていませんでした。

 

また曹操が袁家を滅ぼして中原を統一し、いつ荊州へ攻撃を仕掛けてきてもおかしくない状況でした。曹操がもし荊州へ攻撃をしかけ、荊州の主・劉表が降伏してしまえば、劉備が曹操の勢力から逃れたとしても、よって立つ拠点がなく天下三分の政略は失敗に終わってしまいます。諸葛亮はこの状況を防ぐため、劉琦にアドバイスをすることで、新しい拠点を事前に作り上げ、もし荊州へ曹操軍が攻撃を仕掛けてきた場合に備えていたと考えることができるのではないのでしょうか。そして諸葛亮は劉琦へアドバイスをした後(もしくはする前)、劉備へ自分の考えを伝えて了解を得ていたと考えるのが自然ではないでしょうか。

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

まだ漢王朝で消耗しているの  

 

 

なぜアドバイスをするだけなのに劉備の了解が必要なの!?

挑発する諸葛亮孔明

 

諸葛亮が一般の学者であり、私的に劉琦へアドバイスをするだけであれば、問題はありません。しかし諸葛亮は劉備の軍師として仲間に加わっていたため、どうしても一般人と見られることは難しかっただろうと思います。そのため諸葛亮が劉琦へアドバイスをしたとなれば、どうしても劉備軍の軍師・諸葛亮が劉琦へアドバイスをしたと表面上は見えてしまいます。

 

そして劉備軍の軍師・諸葛亮が劉琦へアドバイスをしたと、劉琮を擁立する一派が知れば、諸葛亮がどのようなアドバイスを劉琦にしたのか気になるのではないのでしょうか。そして劉琮を擁立する一派が想像に想像を重ね、諸葛亮のアドバイスに敵意を感じたと考えればどうなるのでしょうか。劉琮擁立派の代表格である蔡瑁(さいぼう)達は劉備が諸葛亮を動かして劉琦へ何事かよからぬ企てに関するアドバイスをしたのではないのかと考え、劉備を抹殺しようと色々な手を使って試みるはずです。

 

又は劉備に無理難題を押し付けて荊州から追放すること可能性もあるかもしれません。このことから諸葛亮が劉備に劉琦にアドバイスしたことを事後承諾もしくはアドバイスしますよと了解を取っていた可能性があるのではないのでしょうか。そして劉備が諸葛亮の考えに同意していたとすれば、劉備と諸葛亮が結託して劉琦を利用していたと考えることができるのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

もしこのレンの推測が正しいのであれば、劉備と諸葛亮が互いに劉琦を利用していたと考えられ、人徳で有名な劉備の黒歴史の一部に新たな1ページが加えられたといえるのではないのでしょうか。

 

■参考 正史三国志魏書・蜀書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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