先日、猿がお釈迦様に蜂蜜を献上したという伝説をたまたま耳にしました。「お猿」「蜂蜜」と聞いてつい連想してしまったのは、三国志の袁術。自分が1800年も後の日本人にハニーモンキーだと思われていることを袁術が知ったら、さぞかし驚くことでしょう。
“た、確かに最期に蜂蜜水飲みたいとは言った(※)。死に方大事。しかしモンキー要素は一体!?”(※正史三国志袁術伝の注釈に引用されている『呉書』の記述)
「袁」は中国ではよくある名字ですし、中国語で猿のことは猴子と言いますから、日本人がこれを見てついお猿を思い浮かべてしまうことはご本人にはちょっと想像しづらいかもしれません。このように、三国志の英雄ご本人が知ったらさぞかしびっくりするだろうという現代日本における三国志キャライメージについて考えてみました。
司馬懿と真・三國無双
私は真・三國無双シリーズの司馬懿が好きなのですが、司馬懿ご本人があれを見たらどう思うでしょうか。歴史上の司馬懿は冷静沈着で謹厳な儒将(軍隊の指揮もできる儒者)というイメージがありますが、そんな司馬懿がゲームの「フハハハハハ」と言っている司馬懿を見たら、「???」ってなるのではないでしょうか。
“な、なぜ私があんな軽薄キャラに……” 悩む司馬懿。しかし自分が若くてイケメンに描かれているのを見たら、ちょっと気に入るかもしれません。
諸葛亮が五丈原の戦いの膠着状態を脱するために司馬懿に女性の衣服を贈って挑発した時、司馬懿は挑発に乗らなかったっそうですから、真・三國無双の世界観もすんなり受け入れるかもしれません。「首を180度回転させられるという私の特技をもっとアクションに取り入れたらどうかな」とかノリノリでアイデアを出してくれるかも!
劉備と三国志演義
歴史上の劉備は自ら矢玉をかいくぐり陣頭指揮をとるような人かと思いますが、三国志演義では戦いが得意そうな様子はなく、関羽や張飛たちに任せっきりであるように見えます。もし劉備ご本人が三国志演義を読んだら、“俺どうしてこんな無能化されてんだ?”と首をかしげることでしょう。
三国志演義で、自分を慕ってついてくる民衆が川を渡る時に難渋している様子を見た劉備が大声で泣きながら「わたし一人のために民をこのような大難に遭わせるとは、生きていて何になろう」と言って川に身を投げようとするシーンがありますが、それを読んだら本物の劉備は「あははは、アホか俺」と思うのではないでしょうか。
これまでさんざん人の屍を踏みながら乱世を生き残ってきたのに、そんなおセンチな死に方を選ぶなんてありえません。これまで劉備のために犠牲になってきた人たちが浮かばれません。それは乱世を生きてきた本物の劉備には分かるだろうと思いますが、箸より重いものを持ったことがないような士大夫が描いた三国志演義の劉備には分からなかったのでしょう。
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関羽と関羽像
関羽
いろんな三国志作品を見るに、関羽の人物像は比較的ブレが少ない気がします。長いひげ、赤い顔、緑の服。そして誇り高いたたずまい。しかし本物の関羽が赤い顔の関羽像を見たら、「なぜどの像を見ても自分の顔は赤いのですか?」と尋ねるかもしれません。
関羽の顔が赤いのは、民間伝承に由来します。故郷で犯罪をおかして逃亡中の関羽が、追っ手の目をかわすために顔を赤く塗って人相を変えて捕まらずに済んだけれどもあとで顔を洗っても赤いのがとれなかった、というお話があるそうです。
本物の関羽の顔は、べつに赤くはなかったのではないでしょうか。(逆に、本当に赤ら顔だったからそういう民間伝承が生まれたのかもしれませんが。でもそれもたぶん京劇のメイクの色が正義カラーの赤色になっているせいではないかと)関羽の服がたいてい緑色なのは、赤と緑のコントラストが美しいせいですね……。
関羽は現在神様として祀られていますが、祭壇に自分の像があるのを本物の関羽が見たら、「私が神になったか。フフフ……無理もない」と、すんなり納得しそうな気がします。誇り高い性格ですから。関羽に限っては、ご本人が見てもそんなにショッキングなキャラクター付けはされていないかと思いますが、女体化だけは “ぎゃふん!”って思っちゃうかもしれませんね。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志の英雄たちが、自分たちの女体化キャラを見て受け入れられるかどうか、気になりますね。“なるほど、みんなは三国志を愛しているんだね。で、大好きな三国志の登場人物を、みんなが大好きな可愛い女の子にしてみた、と。……てなんでやねーん!”ズコーッ!ってなりそう!愛されていればこそいじられるということで、英雄の皆様にご納得いただけるといいですね!
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