【衝撃】武霊王がいなければ関羽は赤兎馬に乗っていなかった!

2019年1月1日


 

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華々しい活躍を遂げる『三国志』の武将たちの多くは馬にまたがっているイメージが強いですよね。『三国志』では関羽(かんう)が乗り回したという赤兎馬(せきとば)劉備(りゅうび)が気に入って乗っていたという凶馬・的盧(てきろ)といった馬が注目されていますし、『史記』でも垓下(がいか)の戦いで劉邦(りゅうほう)に追い詰められた項羽(こうう)が愛馬・(すい)のことを詠っていることは有名です。

 

そのため、戦は馬無しにはできないし語れないというイメージがありますが、ある人の存在が無ければ戦で馬が注目されることは無かったかもしれないのだとか…!

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも漢民族は馬に乗って戦っていなかった?

 

中国の歴史を描いている漫画のほとんどは馬にまたがっていない将軍を見つける方が難しいほど将軍であれば誰も彼もが馬にまたがっていますよね。しかし、漢民族が馬にまたがって野を駆け山を駆けはじめたのは春秋時代になってからなのだそう。それまでも一応馬はいましたが、その馬たちはあくまで戦車をけん引するためのもので、戦場で人が馬にまたがって戦うなんてことは無かったようです。

 

 

 



異民族の騎兵部隊スゲェ…!しかし

何進

 

有史以来、春秋時代に至るまで戦車を主力とした戦いが主流だったという漢民族ですが、彼らは馬に乗って戦うという方法を全く知らなかったわけではありませんでした。漢民族は北の草原に住まう異民族たちが騎馬部隊を駆使して戦っている様をよく見ていたのです。戦車では実現できない騎馬部隊の機動力は漢民族にとって脅威でした。

 

逆に言えば、漢民族にとっても騎馬の機動力はとても魅力的なものだったはずです。しかし、春秋時代まで頑なに騎馬で戦わなかったという漢民族…。一体なぜ…?それは、彼らのプライドが許さなかったからです。

 

既に中華思想を持っていた漢民族は野蛮な異民族のまねっこなんてしたくなかったのだそう。一応他にも馬を養うための草原が少なかったという理由も挙げられていますが…。

 

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機動力?歩兵でカバーだ!

三国志時代の兵士

 

それでも、「機動力が欲しいな~」と思っていた漢民族。戦国時代に差し掛かる頃には「馬の機動力はたしかにすごいけど、歩兵だって機動力ありまくりじゃん!」と誰かが気づいて(?)からは戦車ではなく歩兵での戦が主流になりました。たしかに人間の方が馬より小回りがききますし、漢民族同士の歩兵戦であれば大きな問題ありませんでした。

 

しかし、やっぱり歩兵VS騎馬の戦となると全く歯が立ちません。そんなことは戦う前からわかりそうなものですが、その当時はやっぱり漢民族のプライドの方が大切だと思われていたようです…。

 

 

 

趙の武霊王が戦に一石を投じた!

趙の武霊王が戦に一石を投じた

 

漢民族と異民族とのそんな戦いを見て「やっぱり馬に乗った方がいいんじゃね?」と思った者がありました。

 

その人こそ、趙の武霊(ぶれいおう)です。

 

臣下たちに騎馬で戦うことのメリットを解いた武霊王ですが、やはり猛反対に遭いました。馬にまたがるには漢民族の装いである裳(スカート)ではなく異民族の装いであるズボンのような胡服を身につければならないのがその反対の大きな理由でした。

 

このことを聞いた武霊王は「かつて(しゅん)は有苗の習慣にのっとって踊り、()は裸国の習慣に合わせて衣を脱いだ」と言って臣下たちを粘り強く説得。ついに騎馬隊をつくり上げることに成功したのです。その後武霊王の騎馬隊は瞬く間に漢民族の「騎馬は野蛮」という意識を覆し、中華に騎兵ブームを巻き起こしたのでした。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

もしも武霊王が騎馬部隊をつくることを臣下たちに説得できなかったら漢民族はその後も長らく戦車や歩兵中心の戦を繰り広げていたかもしれません。もしそうなっていたら騅や赤兎馬といった名馬も注目されることなく戦車を引く馬のうちの1匹として歴史の中に埋もれてしまっていたかもしれませんね。

 

戦を彩る花形ともいえる存在である馬がいないというのは想像すればするほど味気なく、何だか寂しいです。趙の武霊王の「名より実をとれ!」の精神に改めて拍手。

 

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孔門十哲

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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