魏軍を何度も危機から救った最高のフォロワー李典

2019年1月4日


 

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李典

 

魅力的な武将が数多く登場する『三国志』。

しかし、武将の数があまりにも多すぎて陰に隠れてしまっている名将もたくさんいます。

その中でもぜひ皆さんに知ってほしい名将が1人。

その人の名は李典(りてん)です。

 

李典は魏に仕えた人物で数々のナイスフォローによって魏軍を勝利に導いてきました。

今回はそんな李典の活躍ぶりをたっぷりとご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一族で曹操に付き従っていた李家

一族で曹操に付き従っていた李家

 

李典の一族は現在の山東省に暮らしていました。

 

李一族の中でも特に力を持っていたのは李典の叔父の李乾(りけん)で、彼は食客を数千家も囲っていたのだとか。

ヤクザの親分みたいな感じだったのでしょうかね?

そんな李乾は黄巾賊(こうきんぞく)を討伐する曹操(そうそう)と運命の出会いを果たし、李家の人々は曹操の配下に加わることになります。

 

 

 



学問好きで真面目な青年・李典

学問好きで真面目な青年・李典

 

李典も李家の他の面々と同様、曹操の臣下として暮らしていたのですが、李典は軍事に苦手意識を持つ青年でした。

李典は三度の飯より学問が好きで、様々な本を読んで暮らし、そのことに幸せを感じていました。

そんな読書好きな李典を気に入った曹操は

「李典は戦場ではなく政治の場で才を発揮するタイプだな」

と考えて人民を統治する役職につけたそうです。

 

読者アンケートの願い

 

 

官渡の戦いで曹操をナイスフォロー!

李典と于禁

 

戦とはすっかり縁が切れたかに見えた李典ですが、曹操が大戦に臨んだ際には全力でフォローをしに駆け付けています。

天下分け目の関ヶ原ならぬ官渡の戦いの際、李典は一族をはじめたくさんの人を引き連れて兵糧を供給しに駆け付けました。

 

更に、曹操軍が水路を断たれて困っていた際には、

「敵軍は鎧もつけずに油断しきっているから、今すぐに攻撃すれば勝てる!」

と主張して独断で敵に急襲を仕掛け、水路を回復させることに成功。

 

こういった李典のフォローと機転により曹操は袁紹を蹴散らし天下にまた一歩近づくことができたのです。

 

博望坡の戦いで夏侯惇をナイスフォロー!

夏侯惇

 

フォローの達人・李典の手腕は夏侯惇(かこうとん)のもとでも発揮されています。

 

博望坡(はくぼうは)劉備(りゅうび)と戦っていた夏侯惇。

 

しかし、劉備は急に(きびす)を返して退却していきます。

 

これを見た夏侯惇は

「劉備を逃がすまい!」

と追いかけようとします。

 

ところが、

そんな夏侯惇に李典は次のように忠告。

 

「敵軍は理由も無く退却しました。

これはきっと罠に違いありません。」

 

しかし、はやる気持ちを抑えきれなかった夏侯惇は劉備を追撃しに出かけてしまいます。

 

留守を任された李典ですが、罠があることを確信して夏侯惇を追い、予想通りに伏兵に襲われて慌てていた夏侯惇を助け出して見せたのでした。

 

本当にナイスフォローです。

   

 

都の周辺を固めるべく一族郎党で移住

曹操

 

曹操が鄴を基点として国造りの基礎固めをしはじめた頃、李典は曹操に鄴周辺への移住を申し出ました。

 

しかし、移住と言っても一族郎党全員を引き連れての壮大なもの。

 

その壮大さに曹操も思わず

「一族の寝返りを防ぐために屋敷を焼き払った耿純(こうじゅん)にならうつもりなのかい?」

と笑ってしまいます。

 

すると李典は大まじめに

「私は愚鈍(ぐどん)で臆病者で功績もわずか。それなのに曹操さまに厚遇を受けています。

この恩に報いるために、一族全員で仕えるのは当然です。

それに、賊共の征伐は終わっていません。

まずは都周辺を充実させようと考えて一族郎党を挙げて移住をするのです。」

と答えました。

 

この返答に曹操は大喜び。

李典を更に昇進させ、ますますかわいがったのでした。

 

合肥の戦いで仲が悪い同僚と心を1つに

合肥の戦いで仲が悪い同僚と心を1つに

赤壁の戦いで蜀・呉の連合軍にコテンパンにやられてしまった魏軍。

 

しかし、その傷が癒えないうちに呉が追い打ちをかけてきます。

合肥の戦いの始まりです。

 

合肥の戦いを曹操から任されたのは李典・張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)の3人でした。

 

しかしこの3人、すこぶる仲が悪い…。

 

ギスギスした雰囲気が流れる中、孫権(そんけん)軍総勢10万に囲まれてしまう3人。

このピンチのとき、声を上げたのは李典でした。

 

「これは国家の大事です!

私たちは個人的な恨みによって公の道義を忘れてはいけません!」

 

この李典の声にハッとした張遼と楽進は李典とともに奮起してついに孫権軍を退けてみせたのでした。

 

三国志ライターchopsticksの独り言

 

数々のフォローで魏を助けてきた李典。

 

光の当たる場所で華々しい活躍を見せた将軍たちと異なり、日陰で努力した彼の姿はあまり目立ちませんが、彼の実力は他の将軍に負けず劣らず

素晴らしいものだったに違いありません。

李典はわずか36歳で亡くなってしまいますが、誰かと功績を争うこともなく、慎み深い性格だったためにたくさんの人々に愛されていました。

私たちも李典を見習って謙虚に誠実に生きていきたいものです。

 

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