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曹操軍で二回り若い破虜将軍・李典のキャラ設定が面白い理由

2021年9月1日


 

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周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

ふと正史の記述を見ていて。ふと三国志演義を読んでいて。「この武将のキャラクターちょっと違わない?」というのは最早お約束であり、その違いを探すのが面白いということは多々あるでしょう。

 

李典

 

今回ちょっと筆者がご紹介したいのは李典(りてん)、面白いキャラクター付けされている李典を見ていきたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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叔父の頃からの付き合い

暴れまわる黄巾賊

 

李典の叔父である李乾(りけん)は豪族であり、まだまだ無名時代の曹操(そうそう)に従って黄巾賊(こうきんぞく)の戦いに参加。この際に食客たち数千人を率いていたとあるので、かなり有力な豪族であったのでしょう。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

その後も李乾は曹操に付き従いますが、呂布(りょふ)の配下に殺されます。後継者になったのはその子である李整(りせい)でしたが、彼もまた早くに亡くなり、その後を継いだのが李典です。

 

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黄巾賊

 

 

 

早くに亡くなる李典

李典

 

李典自身も曹操に仕えた後は数々の戦いで功績を上げるも、その死は早く、36歳で没しました。ただ早くして亡くなったためか史料が少なく、没年も曖昧な部分が多いため生没年は不詳になっている場合が多いですね。

 

魏志(魏書)_書類

 

しかしその功績はしっかりと評価され、曹操の功臣の一人として名前も記されている、魏には欠かせない武将の一人であったでしょう。

 

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英雄の死因

 

 

 

実は若手の武将・李典

于禁と李典

 

ただ、良く勘違いされていますが李典は年齢自体も魏の武将の中ではかなり若い方でした。曹操の生まれが155年として李典は曖昧ながら180年以降、曹操やその周囲よりも二回りほど若いのです。

 

三国志演義_書類

 

これはおそらく、三国志演義では叔父の李乾がそもそも出てこない、演出の都合か長い期間出てきていることもあって、李典は老年の武将と思っている方もいるのではないでしょうか。

 

于禁と李典

 

そんな李典、若手の武将ながら三国志演義では面白いキャラクター付けをされているのです。

 

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全訳三国志演義

 

 

 

夏候惇の配下として活躍する李典

于禁と李典

 

さてまずは正史の話、夏候惇(かこうとん)の配下として劉備(りゅうび)と戦っていた際に突然退却する劉備、これを追いかけようとする夏候惇。これは劉備の策であると諫めるのが李典です。夏候惇は李典の諫言を聞き入れず深追いして窮地に陥るのですが、李典の救援で命を取り留めました。

 

夏侯惇

 

三国志演義ではこのエピソードが博望坡(はくぼうは)の戦いとして描かれていますが、これだけではありません。

 

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徐庶特集

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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