科挙(官吏登用試験)は現在の公務員試験です。
常に難易度が高い試験として知られています。
合格する年齢も10代で受かれば超天才、20代はただの天才、30代は平均、40代以上は合格が難しくなります。
ところで科挙の合格の難易度は、どれほどだったのでしょうか。
そこで今回は宋代(北宋・南宋)を中心に科挙の合格の難易度について解説します。
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とにかく暗記!
科挙の問題は、面接の殿試を除けば、詩の作成・時事問題を筆記するペーパーテストです。
現在の公務員試験とよく似ています。
しかし、それらを解答するには具体的な知識が無いといけません。
筆者も記事を執筆する時に何冊かの書物に目を通しています。それと一緒です。
いかなる学問にも準備が必要です。
ただし、科挙の受験生が筆者と決定的に違う点は、書物の〝文字〟を丸暗記している点です。
さて、どのくらいの文字を暗記しているのでしょうか?
約575,390文字です。
内訳は以下の通りです。
・『論語』・・・・・・11705文字
・『孟子』・・・・・・34685文字
・『孝経刊誤』・・・・・・1903文字
・『周易』・・・・・・24107文字
・『尚書』・・・・・・25700文字
・『詩経』・・・・・・39234文字
・『春秋左氏伝』・・・・・・196845文字
・『春秋公羊伝』・・・・・・44075文字
・『春秋穀梁伝』・・・・・・41512文字
・『周礼』・・・・・・45806文字
・『儀礼』・・・・・・56624文字
・『礼記』・・・・・・99010文字
上記の数字は、あくまで宋代の数字です。
王朝が進むにつれて教科書が増えたりするので、覚える数字も増えました。
しかし、これだけの数字を覚えていたとは昔の中国人は凄いですね。
地域による格差
科挙の合格の難易度が高い理由はもう1つあります。
実は科挙の合格率が地域によって違っていたからです。
合格率は江南が高く、河北は低かったのです。
これは中央の宰相たちが開国当初は河北出身者が占めていたのですが、次第に江南出身者が占めるようになったからです。
「不平等でしょう!」と思うかもしれませんが、J. W. チェイフィーという学者が実際に統計をとって調べていました。
科挙の合格は政治的道具でもあるのです。
ちなみに科挙は自分の本籍地で受験しないといけないルールになっていました。
しかし、合格したいために本籍地を北から南に移す人もいました。
この地域による合格率の差が、科挙の合格難易度の高さを表していたと考えられています。
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
時の政権に振り回される受験生
受験生は時の政権に振り回されました。
宋代で代表的なものは新法党と旧法党の争いです。
新法党の王安石が政権を握っていた時には、科挙の改革が行われました。
王安石は従来の勉強法ではいけないと思い『三経新義』、『字説』という新しい教科書を作成しました。
筆者が前述した教科書にプラスするなんて最悪です。
王安石は実務も重視していました。
科挙合格したものには、法律の専門知識を問う銓試という試験を課しました。
受かったと思ったら、また試験なんて地獄です。
ここに科挙の合格率の低さを伺うことができます。
しかし、プラスの見方をすれば王安石は精鋭主義をとっていたと考えれます。
さらに、王安石は学校を経由して官僚になる方法を考案しました。
現代で例えるなら、公務員専門学校です。
王安石の考えはどれも斬新でしたが、彼が引退して旧法党の司馬光が実権を握ると、公務員専門学校以外は全て破棄されました。
王安石の方法は実務を重視するのですが、旧法党の儒教的価値観すれば、徳行に欠けていると非難されていました。
いやそれよりも、頑張って勉強していた受験生は、バカを見たのではと筆者は思います。
合格率は王安石の時よりは高くなりましたが、受験生は旧法党の受験方法を押し付けられました。
「もう嫌だ!」と口には出しませんけど、受験生はみんな思ったでしょうね。
宋代史ライター 晃の独り言
以上が宋代の科挙の難易度についての解説です。
しかし、地獄ですね。
筆者だったら受験したくないですね。
ゆっくりと隠遁生活したいです。
※この記事は平田茂樹『科挙と官僚制 世界史リブレット9』(山川出版社 1997年)をもとに執筆しました。
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