于禁は虞翻からも厳しいイジメを受けていた?その理由とは?

2019年1月31日


 

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于禁(うきん)関羽(かんう)に降伏した後、荊州を攻略した呉の捕虜になってしまい、呉で数年暮らすことになります。

その後于禁は魏に帰ると曹丕(そうひ)からいじめを受けて亡くなってしまいます。

しかし于禁は曹丕だけにいじめを受けていたわけではなく、呉にいるときもある人物からいじめを受けていたのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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蜀から呉へ

 

于禁は関羽(かんう)の捕虜になった後、江陵へ移送されこの地で捕虜となっていました。

その後劉備との同盟を破棄して関羽が統治していた荊州を奪った孫権(そんけん)捕虜(ほりょ)となってしまいます。

于禁は孫権の捕虜になったとき、捕らえられていた縄をはずされ、孫権の方から会見を申し入れ、客将として遇されることになります。

しかしここから于禁のつらい日々が始まっていくことになるのです。

 

 



孫権と馬を並べていると…

 

于禁は孫権から客将として優遇されることになります。

孫権は于禁と一緒に馬を走らせようとして隣に来るように言います。

するとそこにたまたま虞翻(ぐほん)が居合わせます。

虞翻は于禁が孫権と一緒に馬を並べて歩こうとしている姿を発見すると大声で

「曹操を裏切って降伏してきたお前が、何の権利があって殿と一緒に馬を並べることができるのか。」

と怒鳴りつけて于禁を叱ります。

虞翻は于禁を叱っただけでなく持っていたムチを振るって彼を打ち据えようとします。

しかし孫権が激怒して「やめろ。虞翻」と大声で抑えたため事なきを得ました。

虞翻は孫権に怒られたため、何もしないでその場を去りましたが、于禁いじめはまだ始まったばかりでした。

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

宴会でも激怒

 

孫権は大きな船に諸将を招いて宴会を催します。

虞翻も孫権に招かれて宴会に参加することに。

このとき孫権は客将となっていた于禁も招き、孫権主催の大宴会が始まります。

宴もたけなわになった頃、孫権が音楽をかなでさせます。

すると于禁は涙を流して音楽に聞き入っていました。

于禁が音楽を聴いて泣いている姿を見た虞翻は

「貴様は音楽を聴いて泣いているようだが、本当は泣くつもりなんてないのであろう。そうまでしてまで許されたいのか。」

とここでも大声を張り上げて激怒。

孫権は虞翻の言葉を聴いて宴会が不機嫌のままだったそうです。

虞翻の于禁いじめはこれだけにとどまりませんでした。

 

 

于禁は処刑するべし

 

孫権は魏との講和がまとまると客将として遇していた于禁を魏へ送り返すことにします。

すると虞翻は

「于禁は数万の兵士を率いていたにもかかわらず、関羽に敗北して捕虜になりました。()へ送り返してもそのまま遇されることになりましょう。

わが呉に取って彼を魏へ送り返しても何の損失にもなりませんが、降伏した罪人を放置したことにはなりましょう。

そこで彼を処刑して忠義を持つことができなかった人物がどのような結末を迎えることになるのか、全軍に見せしめた方がいいと思います。」

と孫権に意見を述べます。

 

孫権は彼の提案を無視して于禁を魏へ送り返すことに。

于禁は最後の最後まで虞翻にいびられながら魏へ帰還することになるのでした。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

于禁は呉にいた時、虞翻に会えば必ず嫌味を言われていました。

しかし魏に帰った于禁は虞翻を褒め称えて恨み言をひとつも言わなかったそうです。

魏の皇帝・曹丕は于禁の言葉を聴いていつ魏に来てもいいように彼の席を作っていたそうです。

それにしてもどうしてここまで虞翻は于禁のことが嫌いだったのでしょうか。

レンの推測ですが、正義の心が強すぎたのではないのでしょうか。

于禁は魏の将軍として戦場に赴いていたにもかかわらず、戦を放棄して降伏する道を選びます。

虞翻は于禁が降伏したのが自分の正義に反する行為であったため、彼を許すことができずに呉にいる間ずっといじめ続けていたと

レンは考えるのですが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考文献 正史三国志呉書など

 

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君主論

Ω

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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