謎の書物『契丹古伝』とは何?騎馬民族征服王朝説を解説

2019年3月3日


 

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神頌 契丹古伝 amazon

 

契丹古伝』という書物があります。出版したのは中国人ではなく、浜名寛祐(はまな ひろすけ)という日本人です。彼は日露戦争(にちろせんそう)(1904年~1905年)に従軍中に、前述の写本を入手しました。

 

戦後、帰国した浜名氏は写本をもとに解読に20年以上の歳月を費やして大正15年(1926年)に出版しました。この書物は歴史学の面から見れば、とんでもないことが書かれています。現在で例えるのなら、『ムー』というオカルト雑誌に似ています。あれは、ユーモアがあって面白いのですけど・・・・・・

 

さて、今回は『契丹古伝(きったんこでん)』という不思議な書物について解説致します。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「契丹古伝」とはどんな書物なの?

幕末 魏呉蜀 書物

 

『契丹古伝』を筆者は手元に所持していないため、どのような書物なのか確認出来ません。だから、今回はインターネットの情報を収集しました。ネットの情報によると、2980字程度の短編だと分かりました。400字詰め原稿用紙7枚と少しです。

 

内容は(りょう)(916年~1125年)の初代皇帝太祖(たいそ)の祖先の東大神族(しうから)に関する神話です。東大神族は漢民族が中国を支配する以前からユーラシア大陸を支配していた先住民です。ユーラシア大陸にいる異民族は全て、東大神族が祖先のようです。

 

 



殷人=倭人?

 

『契丹古伝』には不思議な記述があります。

 

それは「(いん)()なり」という記述です。要するに、殷王朝の人々は現在の日本人の祖先なのです。

 

「な・・・・・・なんだってー!!」

 

・・・・・・スイマセン、『MMR マ〇ジンミステリー調査班』のネタなんて今時の人には分かりませんよね。このネタが、やりたかったのです。許してください。

 

ちゃんと真面目に解説致します。

 

 

騎馬民族征服王朝説

騎射の術に長けた騎馬兵士

 

もちろん、筆者は上記の話を真面目に受け入れません。歴史学的に眉唾物です。

 

『契丹古伝』は現代で例えるのなら、オカルト陰謀歴史学の書籍の先駆けと言えます。しかしここで打ち切ったら終わってしまうので、敢えて受け入れたということで話を進めます。

 

筆者が殷人=倭人の話を読んだ時に、筆者がぴんときた学説が1つあります。

 

〝騎馬民族征服王朝説〟です。

 

 

江上波夫氏が提唱した学説「騎馬民族征服王朝説」

 

騎馬民族征服王朝説は、東京大学教授の江上波夫(えがみ なみお)氏が提唱した学説です。昭和(1926年~1989年)の一時期に学会で論争になりました。江上氏の論は多岐に渡るので、ここで全てを書くことは不可能です。

 

だから、簡単に説明しておきます。

 

江上氏によると渡来人の記述や遺物、遺跡から大和朝廷は朝鮮半島を南下してきた渡来人(騎馬民族)により成立した。こんな感じが江上氏の提唱した騎馬民族征服王朝説です。

 

征服といっても、元寇のような武力で攻め取る形ではなく、現代の外国人の留学や就労のように日本が少しずつ受け入れた感じです。南朝鮮と殷という違いですが、国の違いを除けばそっくりです。

 

つまり、『契丹古伝』の殷人も南朝鮮の渡来人のように大陸から海を渡ってやって来たのだと推測されます。さて、上記の説は当時のマスコミが取り上げたので、昭和の一般社会では当たり前のように浸透していました。

 

実際に漫画家の手塚治虫(てづか おさむ)氏も『火の鳥 黎明編』でこの説を取り入れています。

 

 

流行りものに弱い日本人

日本に目指さした孫権

 

一般社会では、受け入れられた騎馬民族征服王朝説でしたが、学会ではどうでしょうか。実は大半の学者が江上氏の説に懐疑的でした。

 

東京外国語大学教授の岡田英弘氏も批判

 

日本史・中国史の学者も江上氏に対して批判しました。東京外国語大学教授の岡田英弘(おかだ ひでひろ)氏も「完全なファンタジーだ」と言っていました。なぜこのような学説は払拭されなかったのでしょうか。

 

岡田氏は後に著書では次のように語っていました。

 

「騎馬民族説が世間に熱狂的に受け入れられているあいだは、ほかの学者がいくら批判しても、まったく利きめがなかった。日本人にはモンゴルが好きな人が多くて、モンゴルに観光旅行に行っては、われわれの祖先はここから来たんですね、と言う。あれはまったくの空想なんですよと言っても、みんな、ふーんと言うだけで、まったく耳をかそうとしない。」

 

当時はこんな感じだったのです。流行りものに弱い日本人の悲しい性により、誤った学説を払拭出来なかったのです。なお、騎馬民族征服王朝説は現在の学会では根拠が薄いことを指摘されています。

 

宋代史ライター 晃の独り言

 

『契丹古伝』から少し逸脱しましたけど、いかがでしたか。学者の中には、騎馬民族征服王朝説に対してロマンがあって良いと賛成する学者もいました。

 

皆さまは現実とロマンのどちらをとりますか。

 

※参考

・岡田英弘『歴史とはなにか (文春新書)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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