明智光秀の特技とは?プロ顔並みの3つの特技を分かりやすく解説

2019年3月14日


 

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三国志ライター黒田レン

 

いきなりですが、みなさんは特技を持っていますか。植物に詳しいとかイラストが得意だよとかいろいろあると思います。次いでにレンの特技はガンダム(宇宙世紀時代ガンダムもちろんそれ以外でも話す自信があります)やアニメの事を話させれば、一昼夜話せるのが自慢できる特技です。戦国時代にも特技を持っている人がいっぱいいます。

 

今回紹介する明智光秀(あけちみつひで)も特技を持っていましたが、どのような特技を持っていたのでしょうか。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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明智光秀の特技は○○と○○だ!!

明智光秀 麒麟がくる

 

明智光秀の特技は一体何でしょう。それは茶会と連歌。そして鉄砲射撃術と運用術でしょう。この三つをひとつずつ紹介していきましょう。

 

 

 

 



明智光秀の特技その1:どハマリした茶会

 

明智光秀の特技その1としては茶会です。彼は茶の湯を津田宗及(つだ そうぎゅう
)
今井宗久(いまい そうきゅう
)
に学びどハマリします。明智光秀は二人から茶の湯を学ぶと坂本城で茶会を毎年開催。

 

 

お茶を楽しむ明智光秀

 

明智光秀はお客を招いて茶会を開きますが、この時名物と言える茶器や掛け軸を披露し、お客をもてなしていたそうです。明智光秀がどれくらいの名物と言える茶器や掛け軸等を持っていたのかわかりませんが、坂本城跡地を調査した結果、信楽、瀬戸、常滑など多くの焼き物の断片が発掘されたそうです。

 

このことから明智光秀が多くの茶器を持っていたことが伺え、茶の湯にどハマリしていたと思われ、彼の特技の一つと言えるでしょう。

 

 

明智光秀の特技その2:プロ顔負けの実力を持っていた連歌

 

明智光秀の特技その2は連歌です。明智光秀といえば本能寺の変を起こす前に愛宕山で連歌の会を行います。光秀はこの連歌の会で「ときはあめが下知る五月哉」の発句を読んだことは有名です。明智光秀は愛宕山で行われた連歌の会に参加した時、初めて連歌に触れたのではなく、もっと昔に連歌を習っていました。明智光秀はいったい誰に連歌を学んでいたのでしょうか。

 

明智光秀は連歌を里村紹巴(さとむら じょうは
)
に学んでいました。里村紹巴は中世~近世初期の連歌会の第一人者として知られ、明智光秀とも親しい間柄だったそうです。里村紹巴は愛宕山で行われた連歌の会にも参加。

 

他にも細川忠興が開催した連歌の会に明智光秀と一緒に出席しています。彼の連歌の実力はどれほどだったのでしょうか。レンには連歌がわかりませんが、当第一の里村紹巴と一緒に連歌の会に出席していることから、かなりのレベルだったと推測できるのではないでしょうか。

 

明智光秀は里村紹巴に連歌を学ぶと坂本城で茶会をしながら連歌の会を開き、里村紹巴を招いたり、親友・細川忠興などを招いていました。この連歌も明智光秀の特技の一つと言えるでしょう。

 

 

明智光秀の特技その3:優れた鉄砲運用術を提案

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

明智光秀の特技その3は鉄砲運用術と言えるでしょう。明智光秀は三好三人衆が本圀寺へ攻撃を仕掛けてきた際、大筒を用いて蹴散らしています。他にも金ヶ崎の退却戦では押し寄せてくる朝倉軍を鉄砲を用いて味方の退却を円滑にしています。このことから明智光秀の鉄砲運用術は特技の一つとして数えることが出来るでしょう。

 

明智光秀の鉄砲運用術が発揮された長篠の戦い

 

 

明智光秀は長篠の戦いで織田信長(おだのぶなが)へ鉄砲運用術を進言したとの学説があるのでラストに紹介しましょう。長篠の戦いは織田信長が鉄砲の三段撃ちを用いて武田騎馬隊を壊滅させた戦いとして知っている方も多いと思います。

 

この鉄砲三段撃ちの戦術を織田信長に提案したのが明智光秀だったのです。明智光秀も長篠の戦いに参加。明智光秀は長篠の戦いが織田軍の優勢で終わるとすぐに坂本城へ帰還します。

 

明智光秀は坂本城へ帰還すると吉田兼見(よしだ かねみ
)
が戦勝祝杯にやってきたそうです。この戦勝祝杯の席で明智光秀は吉田兼見へ織田信長からの手紙を披露。織田信長が光秀に当てた手紙の原文は「今度三州表の義、信長より明智に対し仰せ上せらる御折紙、披見せしむる也、尽く討ち果たすの儀定めの如くなり。」です。

 

この文末の部分が非常に重要で「定めの如く」ではなく「必定」の誤読だそうですが、明智光秀がもし長篠の戦いに参加しているのであれば、「これから武田軍を殲滅する」との報告文のような手紙を信長が送る必要がありません。そしてこの「定めの如くなり」をそのまま引用するのであれば、この織田信長の手紙は「君から教えてもらった方法で武田軍を壊滅した」と読むことができ、明智光秀が長篠の戦いで鉄砲運用術を織田信長に提案したと言えます。

 

どちらが正しいのかは今後の研究しだいですが、レンは明智光秀が長篠の戦いの鉄砲運用術を織田信長へ提案したと考えていますが、みなさんはどう思いますか。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は明智光秀の特技について紹介しました。どの特技も明智光秀の研鑽によって身に付いた特技と言えるでしょう。織田家においてはこれほど特技を身につけている明智光秀が出世するのも当然と言えると思いませんか。

 

・参考: 明智光秀 残虐と謀略 一級史料で読み解く (祥伝社新書)

 

 

関連記事:明智光秀は愛宕神社で信長討伐の吉凶を占った?(本能寺の変雑学)

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麒麟がくる

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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