徐盛と朱然は名将なのにマイナーな武将だった!?

2019年3月13日


 

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陸遜

 

皆さんは孫呉(そんご)の名将と言えばいったい誰を思い浮かべるでしょうか。多分、周瑜(しゅうゆ)陸遜(りくそん)呂蒙(りょもう)など知名度の高い武将を思い浮かべると思います。しかし孫呉には上記で上げたほかにも名将と呼べる武将がいますが、徐盛(じょせい)朱然(しゅ ぜん)の二人を知っていますか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐盛と朱然は名将だけどマイナーな武将だった!?

徐盛(じょせい)呉の将軍

 

皆さんは徐盛と朱然の二人の名将を知っていますか。多分この二人を知っている方は、三国志(さんごくし)をかなり深く知っている人だと思います。

 

双流星を振り回している徐盛

 

しかし普通の人ならまず聞いたことのない武将で俗に言うマイナーな武将だと言えるでしょう。徐盛と朱然は孫呉の名将と呼べる将軍なのにどうしてマイナー武将で知名度が低いのでしょうか。

 

 

 

現代人が徐盛と朱然を知らないのはどうして!?

朱然

 

徐盛と朱然の知名度が低い理由は、二つあると思います。一つ目は徐盛と朱然の二人が三国志系のゲームやライトノベルなどにも中々登場することが無い為だと思います。

 

 

呂布

 

 

三国志系のゲームやライトノベルに登場する人物は有名な呂布(りょふ)曹操(そうそう)劉備(りゅうび)張飛(ちょうひ)関羽(かんう)諸葛孔明(しょかつこうめい)周瑜(しゅうゆ)陸遜(りくそん)呂蒙(りょもう)など三国志を知らない方でも一度ぐらいは聞いたことがある武将だと思います。

 

しかし徐盛と朱然は、三国志系のゲームやライトノベルにあまり登場する機会が無く、上記で紹介した武将達に比べると知名度が低く、孫呉もしくは三国志の中でもマイナーな武将と言え、名将であるにもかかわらず、知名度が低い原因だと思われます。

 

では徐盛と朱然が名将であるにもかかわらず知名度が低いもう一つの理由はいったいなんでしょうか。

 

呉の武将

 

 

徐盛と朱然が守りに特化した武将だったから

朱然

 

徐盛と朱然の知名度が低い理由の一つ目を上記で紹介しましたが、二つ目の理由はいったい何なのでしょうか。徐盛と朱然の知名度が低い理由の二つ目は、彼ら二人が華々しい活躍をしていなかったからです。

 

孫呉の知名度の高い周瑜や呂蒙、陸遜は大きな戦いで勝利し、華々しい活躍をしています。例えば周瑜は赤壁の戦いで曹操軍の大軍を打ち破ることで華々しい活躍をしています。また呂蒙は荊州攻略戦に成功し、劉備の義弟・関羽を討ち取っています。

 

更に陸遜は夷陵の戦いで劉備軍の大軍を打ち破り、石亭の戦いでは魏の大軍を打ち破る実績を残しています。このように彼ら知名度の高い孫呉の名将は大きな戦いで華々しい活躍をしています。しかし徐盛と朱然は彼らのように華々しい活躍ではなく、どちらかと言えば地味な活躍な為、上記の名将たちのように知名度が上がりませんでした。

 

では徐盛と朱然はどのような活躍をしたのでしょうか。徐盛は偽物の城を作って魏の大軍を撤退させることに成功。そして朱然も徐盛と同じように魏の大軍が孫呉の領土を攻撃してきた際、少ない兵力で城を守り切ります。このように彼ら二人は大きな戦いで大活躍をしたのではなく、守りに特化し地味な戦いをしたため、知名度を上げることが出来なかったと思われますが、皆様はどのように思いますか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

徐盛と朱然は守りで活躍した武将であるため、知名度を上げることができませんでした。しかし彼ら二人は孫呉を守り切った事で敵国から高い評価を受けた武将だったのです。徐盛は偽の城を作って魏軍を退けることに成功し、この時の活躍により、魏の皇帝・曹丕からも高い評価を得ることになります。

 

また朱然は守っていた城が魏の大軍の攻撃を受けた時、少ない兵力で守っていました。朱然は少ない兵力で魏軍の攻撃を半年以上も耐え抜き、かつ魏軍を退けることに成功した事で、魏の将兵から高い評価を受け、孫権から大いに褒められることになります。

 

このように徐盛と朱然は現代人には知名度が低いながらも孫呉の領土を守り、敵国から高い評価を受けていたのです。三国志には徐盛と朱然のように知名度が低いながらも名将と呼べるような活躍をした将軍ややり手の政治家など多くいます。そのような人々を知る事でより三国志を面白く読めるので、興味のある方はマイナーな武将も知ってみたはいかがでしょうか。

 

■参考 ちくま学芸文庫 正史三国志呉書など

 

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赤壁の戦い

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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