靖康2年(1127年)に北宋(960年~1127年)は、首都の開封を金(1115年~1234年)に包囲されました。籠城戦の結果、北宋は敗北して降伏しました。この時、引退していた北宋第8代皇帝徽宗と第9代皇帝の欽宗、さらに開封にいた皇族が金の本国まで拉致されました。
この事件を「靖康の変」と言います。
さて、この事件の発端については、あまり知られていません。そこで今回は靖康の変の過程について解説致します。
遼の衰退・北宋と金の同盟
北宋の徽宗の政和5年(1115年)に金が建国されました。金は北宋と対立している遼(916年~1125年)の支配下にありましたが、長年の支配に耐え切れずに独立を宣言しました。
建国当初の金の前に遼は次々と打ち破られました。かつて、北宋を苦しめた遼の騎馬隊の強さは見る影もありません。
その情報を耳にした北宋は宣言和2年(1120年)に、金との同盟を結びました。
(1)遼に差し出していた貢物は全て金に与える。
(2)北宋と遼の間で問題になっている燕雲十六州(現在の北京から山西省大同市周辺)は北宋が自力で奪還する。
上記2点で交渉しました。
しかし交渉に曖昧な点もあり、さらに改善されて北京方面を北宋が、大同方面を金が攻撃することになりました。
遅れをとる北宋
ところが運悪く、北宋では宣和2年(1120年)に江南で方臘の乱が起きました。北宋は、この乱の鎮圧に3年もかけてしまい、遼の討伐に遅れが出ました。ようやく鎮圧した宣和4年(1122年)に宦官の童貫が総司令官となり出陣しました。ところが出陣すると、ほとんどの領土は金に占領されていました。
また、燕京(現在の北京)の戦闘では遼に敗北する始末です。敗戦の責任を問われることを恐れた童貫は、金に援軍を頼んで燕京を陥落させました。
ちなみに北宋はこの時、「わが軍は大勝利です」と都に虚偽申告までしています。
まるで旧・日本軍の手法です。
金の諸将はこの時、北宋に対して燕京の領土割譲を要求しました。しかし、金の初代皇帝太祖は「燕京は北宋に渡す約束になっていたから、約束を反故にすることは出来ない」と諸将の反対意見を抑えました。
約束を反故にする北宋
さて、燕京を手に入れた北宋でしたが、その後の金との領土交渉が上手にいきません。やはり、北宋が自力で領土奪還をしていないことが原因でした。
そこで北宋は金領内各地で反乱を起こさせたり、逃亡した遼の第9代皇帝天祚帝と連絡をとりました。
昨日の敵は今日の友・・・・・・なんだか違いますね。
さて話を戻します。
この計画は密書が金に見つかり怒りを買うことになります。金は反乱を鎮圧、宣和7年(1125年)には逃亡していた天祚帝を捕えました。
ここに遼は完全に滅亡しました。
第1次開封包囲
宣和7年(1125年)に金は北宋攻撃を開始します。
理由は北宋の度重なる背信行為でした。
この時、金の皇帝は第2代皇帝太宗でした。太宗は諸将と同じであり、北宋に対して強硬的な姿勢の人物でした。大将の斡離不と粘罕は北宋の首都の開封に向けて出発しました。
一方、金の攻撃開始を耳にした徽宗は退位して、皇帝位を皇太子(欽宗)に譲りました。さらに宦官の童貫は処刑、宰相の蔡京は流刑にして関係者を処罰しました。
靖康元年(1126年)に金は北宋の首都の開封を包囲しました。防戦するも敗北した北宋は金に謝罪しました。
その結果(1)賠償金の支払い、
(2)領土割譲の2点を要求されました。
賠償金は高額であり、領土も要地ばかりでした。だが、北宋はやむを得ず要求を飲みました。
了承した金は引き上げました。
第2次開封包囲 靖康の変
ところが、北宋はまだ諦めません。再び遼の残党に連絡をとります。
懲りない人たちです・・・・・・・
しかもこれが金にバレバレでした。激怒した金は、靖康2年(1127年)に再び開封を包囲します。
これが「靖康の変」です。
上皇の徽宗と皇帝の欽宗は城外に出て謝罪しましたが許されませんでした。
結局、徽宗と欽宗をはじめ、開封にいた皇族は金の本国に拉致され、文化財も根こそぎ持ち去られました。
こうして9代167年で北宋は滅亡しました。
自業自得とはいえ、あまりにもあわれです。
宋代史ライター 晃の独り言 ~ある1人の男について~
これはある男の話です。
靖康の変で開封が陥落した時のことです。開封の統治に困った金は緊急の策として、北宋の大臣から張邦昌という人物を無理やり皇帝に即位させて、国号も〝楚〟と変えました。
これは俗にいう傀儡国家です。
金が立ち去ると、楚はすぐに解体しました。33日の短い国家でした。この傀儡国家に反対したことにより、金に拉致された1人の男がいました。
男の名は秦檜、後に南宋で権力を壟断した「専権宰相」でした。
関連記事:貨幣や紙幣は宋代に誕生したの?宋代の経済生活を分かりやすく解説
関連記事:【岳飛の墓事情】死後における岳飛と秦檜の評価をめぐって