本多忠勝はどんな最期を迎えるの?関ヶ原から最期まで分かりやすく解説


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本多忠勝

 

今回は戦国武将で徳川四天王の一人である本多忠勝(ほんだただかつ)について取り上げます。

前半では本多忠勝の関ヶ原の戦いまでの戦いと後半では関ヶ原の戦い後について取り上げます。

 

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本多忠勝とはどんな人物?

 

本多忠勝は1548年に三河国に生まれました。

生まれた場所は現在の愛知県岡崎市で、生誕の地に石碑が立っています。

 

初陣は桶狭間の戦いで大高城の兵糧入れといわれています

 

桶狭間の戦いで今川義元(いまがわよしもと)が戦死すると、徳川家康(とくがわいえやす)は独立し、織田信長(おだのぶなが)と同盟を結びました。

本多忠勝は徳川家康の家臣となり、後に徳川四天王の一人となります

 

1563年に三河一向一揆で徳川家康の下で武功を挙げました。1570年の姉川の戦いでは、朝倉(あさくら)の1万の軍勢を単騎で打ち崩し、勝利に貢献しました。

その後、1573年の長篠合戦や1580年の高天神城の奪還に成功するなど武功を挙げました。

 

1582年、本能寺の変が起こりました。当時、徳川家康は本多忠勝ら少数の家臣とともに堺に滞在していました。本能寺の変で織田信長が自害したことを知ると、本多忠勝は徳川家康に伊賀越えを進言します。

 

結果、服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)らが土豪らを説得したことにより伊賀越えは成功しました。伊勢から船で岡崎城に入りました。

 

1584年の小牧・長久手の戦いでは、家康から留守を任され、直接出陣していませんが、16万の豊臣(とよとみ)軍の前に徳川軍が苦戦しているのを知ると、

忠勝は500の兵で駆けつけ、豊臣方の軍を撃退したといわれています。

 

徳川家康が豊臣秀吉の家臣になると、家康は1590年に北条(ほうじょう)氏が拠点としていた関東地方に転封されました。本多忠勝ら家臣も関東地方に移りました。

 


 

本多忠勝の関ヶ原から最期まで

徳川家康

 

1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康の本陣にいました

 

本多忠勝の嫡男が忠勝の部隊を率いていました。本陣では吉川広家(きっかわひろいえ)らを東軍につける工作活動で活躍しました。

 

関ヶ原の戦いでの活躍が家康に認められ、伊勢国桑名に移され、10万石になりました。本多忠勝は伊勢国の桑名藩藩主になると城郭の修理と宿場の整備を行い、街づくりに力を入れました。

 

1604年から病気にかかるようになり、江戸幕府から遠ざかるようになりました。後に目の病気も患うようになり、1609年に嫡男の忠政(ただまさ)に家督を譲り、隠居しました。

 

1610年に桑名で病死しました

 


 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

幕末ライター オフィス樋口

 

今回は本多忠勝の生涯について取り上げました。

 

この記事では、前半で生まれてから関ヶ原の戦いでの活躍と後半では関ヶ原の戦い後の本多忠勝について取り上げました。

 

ここでは本多忠勝の最期について取り上げます。本多忠勝は病気で死亡しました。眼病を患っていたという記録があることから、糖尿病による網膜剥離を患っていたという説があります。

 

本多忠勝が死亡する数日前の逸話について取り上げます。本多忠勝は彫刻刀で自分の持ち物に名前を彫っていました。彫刻刀で彫っていたときに、本多忠勝は誤って手を切りました。本多忠勝はこれまでの戦いでかすり傷すら負ったことがなく勝ち続けてきました。

 

彫刻刀で誤って手を切ったとき、忠勝は自ら傷を負ってはもう終わりだとつぶやいたといわれています。手を切った数日後に死亡しました。本多忠勝に仕えた家臣2名も忠勝の後を追って殉死したといわれています。

 

最後に、本多忠勝の評価について取り上げます。忠勝は冷遇されていたという意見があり、評価が分かれています。

 

忠勝は伊勢桑名藩10万石ですが、井伊直政(いいなおまさ)は18万石、榊原康政(さかきばらやすまさ)は10万石であることを考えると冷遇とはいえないと思います。この3人は交通の要所に配置されていることから、家康から信頼されているといえるのかもしれません。

 

一方で、本多正信(ほんだまさのぶ)正純(まさずみ)親子が重用されていたといわれています。病気が原因であるかもしれませんが、

江戸幕府から遠ざけられているので冷遇されていたといえるのかもしれません。

 

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