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もし夷陵の戦いで陸遜の裏切りがあったらどうなる?【if三国志】

2019年3月31日


 

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陸遜

 

火攻めによって夷陵の戦い(いりょうのたたかい)に勝った陸遜(りくそん)。この戦いでは陸遜の冷徹な判断が勝利につながりました。

 

しかし、もし陸遜が部下のストライキに屈して呉軍を裏切っていたら、どうなっていたのでしょうか。陸遜の生い立ちも踏まえながら、紹介していきます。

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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なぜ陸遜の部下が不満を抱いたのか?

陸遜

 

そもそも夷陵の戦いにおいて、なぜ諸侯(しょこう
)
の不満が湧いて出たのかがポイントです。頭も切れるし、孫権(そんけん)の信頼も勝ち取っている陸遜(りくそん)。傍目からするとストライキの要素がないように感じます。

 

例えば、学校でも先生目線と友達目線とで評価が違うことがあるでしょう。実は諸侯のストライキも、それによく似た現象なのです。

 

 

 

陸遜の妻は孫権の姪

孫策、陸遜、顧邵、他

 

夷陵の戦いの前に陸遜はゴールインしています。相手は孫策(そんさく)の娘。つまり孫権の姪に当たります。

 

この婚姻により陸遜は呉のトップである孫権と親戚関係になったのです。孫権から見れば優秀な配下をつなぎとめておくための政略だったのかもしれません。真意はどうであれ、姪を嫁にやるぐらいですから陸遜を信用していたのは間違いないようです。

 

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陸遜を臨時の大都督に任命

陸遜

 

臨時にではありますが、夷陵の戦いにおいて陸遜は大都督(だいととく)に命じられます。これは戦での全権を握っているようなもので、ほぼ陸遜の判断で部下を指示することができる権力です。これだけなら夷陵の戦いに赴いた部下も不満はさほど出ません。

 

理由は陸遜の出自にあります。

 

陸遜

 

陸遜は現在の上海市松江区(しゃんはいししょうこうく
)
あたりに生を受けます。父親は陸遜が6歳のときに亡くなり、祖父は袁術(えんじゅつ)と仲たがいし、盧江(ろこう)に攻め込まれます。二年ほど持ちこたえますが、数か月後に病で世を去ります。予め陸遜は呉郡(ごぐん)に引っ越していたため難を逃れました。

 

程普

 

夷陵の戦いで追従した諸侯たちは歴戦のつわもの。軍師ごときに何ができるのかと見下していたのです。

 

呉の周瑜、孫策、程普

 

孫権(そんけん)との付き合いも長く、家柄も良い諸侯から見れば、嫉妬するのも無理はないでしょう。いわば孫権先生の親戚であるクラスメイトが投票なしで学級委員に選ばれたようなものです。

 

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呉軍が夷陵をとれなかったら…

陸遜

 

歴史では夷陵の戦いで呉軍は勝利を治めますが、もし陸遜が部下のストライキに耐えかねて蜀に寝返っていたら戦局は、どう動いたでしょうか。

 

三国志の主人公の劉備

 

まず、夷陵の戦いが終わった後に劉備が白帝城(はくていじょう
)
に逃げ込む必要がなくなります。夷陵は蜀に近く、夷陵の東側には水に恵まれた豊かな土地が待っています。

劉備(りゅうび)だけでなく、蜀の民も潤っていたことでしょう。

 

三国時代の船

 

二世紀ごろの中国では、すでに水運が発達していました。そのため、民も権力者も黄河(こうが)長江(ちょうこう)といった大河に沿って生活し、繁栄します。

 

三国時代の船(先登)

 

現在の北京や上海、香港の経済発展を知る私たちにとっては違和感があります。しかし、人が生きるのに最も必要なのは「水」と「食料」、そして「空気」です。

必然的に水が多い場所に文明は生まれます。

 

皇帝に就任した曹丕

 

一見すると安泰のように見えますが、時代は三国鼎立。北からは曹丕(そうひ)が攻めてきたに違いありません。

夷陵の戦いで劉備が呉軍を退けていても曹丕(そうひ)の脅威にさらされていたでしょう。

 

 

陸遜の命運は?

陸遜

 

諸侯からストライキにあっていた陸遜は、夷陵の戦いで信頼を勝ち取ります。もし、勝利していなければ、やっぱり無理だったかと諸侯に冷笑されていたでしょう。

 

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

陸遜は石亭の戦い(せきていのたたかい
)
以後、厚い待遇を受けますが、丞相(じょうしょう
)
の役職に就くと呉の後継者争いに巻き込まれます。孫権とその息子の孫和(そんか)との関係が悪化するのです。もし、陸遜が夷陵の戦いで負けていたら、もっと穏やかな人生を送れたかもしれません。

 

三国志ライター 上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

陸遜の生い立ちと夷陵の戦いで陸遜の裏切りがあったらというテーマで執筆しました。そもそも史実(しじつ)を曲げるのは愚の骨頂である感じる読者もいることでしょう。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

しかし、歴史は権力者によって都合よく書き換えられるものです。史実に固執せずに豊かな発想で三国志(さんごくし)を見ていくのもロマンチックだと思います。遺跡の発掘で歴史が変わることは、よくあるのですから…。

 

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上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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