女真族とはツングース系の半農半牧の民族です。12世紀には金(1115年~1234年)を17世紀には清(1644年~1911年)を建国しました。ところで、女真族とは一体なんでしょうか。今回は女真族について解説致します。
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女真族とはどんな民族?
金や清を建国した女真族は中国東北地区の松花江・牡丹江・黒竜江下流域・沿海州地方に広く分布していたツングース系の民族です。ちなみに書物によっては「女直」という記載もあります。
渤海国(698年~926年)の時代は渤海国の支配下に置かれた民族でした。しかし、渤海国が遼(916年~1125年)に滅ぼされると、裕福な渤海国の民は契丹の別の土地へと移されました。
この裕福な渤海国の民を「熟女真」または「係遼籍女真」・「曷蘇館女真」と呼んでいます。これに対して弱小な女真族も存在しており、地方で遼の支配を受けていました。
弱小な女真族を「生女真」、「生女直」と呼んでいました。金を建国した完顔阿骨打の一族は、生女真の出身です。
嘘で固められた完顔氏の歴史
金の建国者の完顔阿骨打が生活していた場所は、黒竜江省内を流れる按出虎(アルチュフ)水流域です。完顔氏の祖先については『金史』という書物に記されています。完顔阿骨打に至るまで11代です。
(1)始祖(しそ) (2)徳帝(とくてい) (3)安帝(あんてい) (4)献祖(けんそ)
(5)昭祖(しょうそ) (6)景祖(けいそ) (7)世祖(せいそ) (8)粛宗(しゅく
そう) (9)穆宗(ぼくそう) (10)康宗(こうそう) (11)完顔阿骨打
すごい長い歴史です。
11代と言えば、王朝1つ分あると思うのですが・・・・・・・この11人については、かつて学者の池内宏(いけうち ひろし)氏が調べたところ、あることが判明しました。それは始祖から昭祖までの5人が、存在しない架空の人物であることです。
「晃、この書物を執筆したのはラノベが大好きなキモオタか?」
絶対に違います。しっかりとした歴史の書物です。異民族の歴史だから最初の部分は、架空の人物になっているのです。池内氏によると、5人を架空の人物と決定づけたのは彼らの相続方法でした。
5人が行っていた相続方法は親から子という現代の日本でもよくある方法です。
「それがどうかしましたか?」と思うかもしれませんが、実は女真族では兄弟相続が当たり前だったのです。実在が証明されている世祖以後は全て兄弟相続です。
完顔阿骨打も弟に位を譲っています。親子相続になったのは、完顔阿骨打の弟・・・・・・つまり、金の第2代皇帝太宗以後です。
女真族の怒りと金の建国
遼の貴族では鷹狩りが流行っていました。特に「海東青鶻」という種類の鷹が優秀でした。海東青鶻は今日のシロハヤブサです。
遼の貴族は女真族に海東青鶻を献上することを無理強いしており、出来なかった時はひどい目にあわせていました。女真族の怒りは日々募っていきました。これに目を付けたのが、当時の完顔氏の酋長だった完顔阿骨打でした。
遼の天慶4年(1114年)に完顔阿骨打は反乱を起こしました。この反乱には渤海人も参加しました。そして翌年、完顔阿骨打は金を建国して、元号を「収国」としました。
宋代史ライター 晃の独り言
金は建国されて隆盛に向かい、遼は逆に国が滅びに向かいます。この状況に目を付けたのが北宋(960年~1127年)でした。北宋は今まで遼に痛い目にあわされたので、ここで仕返しをしようと金と手を結ぼうと考えたのです。
しかしながら、それはまた別の話に致します。
※参考文献
・河内良弘「金王朝の成立と国家構造」(『岩波講座世界歴史9』 1970年所収)
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