【渤海国の謎に迫る】なぜ渤海国は謎の王国になってしまったのか?

2019年4月10日


 

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丸木舟(弥生時代)

 

渤海国(ぼっかいこく)(698年~926年)とは朝鮮方面にあった王国です。日本とも交易した形跡が史料に残されています。

 

「遼」の国旗をバックとした兵士

 

ところが、西暦926年に契丹(きったん)(後の(りょう))の初代皇帝の耶律阿保機(やりつあぼき)により滅亡させられました。

 

その際に、様々な記録や遺物が失われたので、今日では渤海国は謎の王国とされています。ところが、この王国に関しては様々な謎が残されており、今日まで論争が続いています。

 

どのような内容でしょうか。論争が絶えない渤海国の謎に迫りたいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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建国者の謎

 

一般的に建国者は大祚栄(だいそえい)と知られています。現在の世界史の教科書の記述でも大祚栄です。この大祚栄(だいそえい)をめぐって論争がありました。渤海国建国以前に反乱を起こした人物に乞々仲象(きつきつちゅうしょう)という人物がいます。

 

一般的には大祚栄の父と言われています。ところが、大祚栄と乞々仲象をめぐって論争が行われました。

 

(1)親子説

 

先ほどから述べている一般的な説です。『新唐書(しんとうじょ
)
』という書物に記されていることが理由です。『新唐書』の編纂者は北宋(ほくそう)(960年~1127年)中期の官僚で欧陽脩(おうようしゅう)や彼の知り合いが関わっていました。

 

しかし客観性が乏しく、史料価値はそれ以前に執筆された『旧唐書(くとうじょ
)
』に劣ると言われています。また、『旧唐書』には大祚栄と乞々仲象が親子だったという記述は出てきません。

 

そのため、大祚栄と乞々仲象の親子説は本当か分からないようです。

 

(2)同一人物説

 

これがもう1つの説です。『旧唐書』に親子関係の記載が無い点から出た説です。おそらく、乞々仲象が本名であり、大祚栄は建国後の漢名と言われています。しかし、確たる証拠はありません。

 

(3)血縁関係ゼロ説

 

大祚栄と乞々仲象は親子ではない、全くの赤の他人という説です。しかし、これも確たる証拠はありません。とにかく建国者に関しては謎ばかりなのです。

 

 

 



滅亡の謎

 

渤海国は西暦926年に滅亡するのですけど、これ以降史料が全く残されていません。首都の上京龍泉府(じょうけいりゅうせんふ)の発掘も行われたのですが、思った以上の発見が現在までされていません。このためなのか、渤海国の滅亡は何か別の原因があったのではと考えられました。

 

桜島

 

昭和63年(1988年)にNHKが渤海国の滅亡に関して取り上げて放送を行いました。これは極めて珍しい例です。しかしながら、結末は白頭山(はくとうさん
)
の大爆発で都は滅び去ったといかにも視聴者が喜びそうな結末です。

 

要するにポンペイ遺跡と一緒にしたいのです。しかし、科学的に証明することが無理だったらしく仮説だけで終わっています。やはり、渤海国は史料に残されているように、契丹に滅ぼされて滅茶苦茶に荒らされたのが正しいのでしょう。

 

そのことは歴史書の『遼史(りょうし
)
』に記録されています。また、日本に来た裴璆(はいきゅう)が証言しています。裴璆は渤海国に仕えた人物であり、渤海国滅亡後に契丹が一時的に建国した東丹国(とうたんこく
)
に嫌々仕えました。その時に、日本に使節として派遣されています。

 

派遣された裴璆は、契丹の悪口を言ったので朝廷から不評を買います。ところが、藤原雅量(ふじわらの まさかず)は分かってあげて交流を深めました。この事は日本の『扶桑記略(ふそうりゃくき
)
』・『扶桑集(ふそうしゅう)』という書物に残されています。

 

北宋・南宋

 

 

宋代史ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が、渤海国の謎に関してです。渤海国の謎と言っても大したものではないのですよ。史料をしっかり読み解けば、出てきそうなものばかりです。

 

なぜ謎だと思うのでしょうか?それはみんな、考えることが面倒だからです。

考えることが面倒臭いから謎ですまそうと思うのです。考えろ。方法はあるはずだ。

 

えっ、『鋼の錬〇術師』のセリフで話を終えるなだって?

 

格好良く決めさせてよ・・・・・・

 

渤海国の謎―知られざる東アジアの古代王国 (講談社現代新書)

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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