劉禅は凡人?それとも偉人なの?蜀漢2代目皇帝を徹底検証

2019年4月10日


 

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劉禅と董允

 

三国志(さんごくし)の主役である劉備玄徳(りゅうびげんとく)の死後、蜀漢(しょくかん)の第2代皇帝となった劉禅(りゅうぜん)は、優秀な家臣の言いなりになっていたすぎない、出来損ないの暗君だと評されることも多い人物。そんな彼が本当に凡人だったのか、はたまた偉人だったのか様々な角度から検証します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉禅が凡人ですらなく暗愚だったと言われている由縁

劉禅

 

幼名である「阿斗(あと)」が人を罵倒する際に用いられる、「アホ」の語源とまで言われる劉禅(りゅうぜん)

 

 

亡くなる劉備に遺言を聞く諸葛亮と趙雲

 

 

夷陵の戦い(いりょうのたたかい)に敗れた後病床に伏せ、いよいよ死が迫った先帝・劉備(りゅうび)が残した、「これからは丞相(じょうしょう
)
諸葛亮(しょかつりょう))を父と思い仕えなさい。」という遺言を忠実に守り、政務のほとんどを諸葛亮に委任していたのは事実です。

 

 

劉禅と孔明

 

 

しかし、父帝が没し2代皇帝に即位したとき劉禅は若干17歳。経験や行政能力に勝り、蜀の有力者や文人たちと太いパイプを持つ諸葛亮が、彼に変わって政務全般を仕切るのは、至って当然のことです。

 

 

費禕

 

 

ただ、諸葛亮の死後も全く政治に興味を示さず、蒋琬(しょうえん)費禕(ひい)董允(とういん)といった能吏(のうり
)
へほぼ丸投げ状態。

 

 

劉禅

 

 

劉禅自身は後宮(こうきゅう
)
の人員増員を要請するなど、遊興(ゆうきょう
)
ばかりに明け暮れていたという記録が多いことも、彼の評価を落としている大きな理由です。

 

 

劉禅に気に入られる黄皓

 

 

決定打となったのは、賄賂や不正が横行し蜀の弱体化が顕著となり、滅亡するきっかけを作った宦官(かんがん)黄皓(こうこう
)
を寵愛・重用したことでしょう。

 

 

司馬昭

 

 

また蜀滅亡後、司馬昭(しばしょう)が劉禅を招き開いた酒宴における、「蜀は恋しくない」という亡国や家臣を顧みない発言が、「劉禅=暗愚」というイメージの定着に、一層拍車をかけたのです。

 

 

 

そもそも劉備は偉人?劉禅との共通点を探ってみた!

法正と劉備

 

 

偉人とは、「並外れた才能を持つ人物」のことを指し、苛烈極まる三国時代を生き抜くためには、武芸・軍事・政治の才が求められます。

 

 

劉備に褒められる趙雲

 

 

劉禅の父にして、三国志(さんごくし)きっての英雄(えいゆう)ともてはやされる劉備ですが、武芸で言えば張飛(ちょうひ)趙雲(ちょううん)らに到底及びません。

 

劉備の黒歴史

 

さらに、敗戦を喫しては各地を逃げ回ってきた彼の戦歴を見る限り、軍事的才能に秀でていたとは、到底言い難いものがあります。

 

 

呂布と劉備

 

 

政治的手腕にしても、曹操(そうそう)に破れ敗走してきた呂布(りょふ)を迎え入れたものの、結局裏切られ危うく命を落とすところでした。

 

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

 

その後、呂布が曹操に処刑されると仲良く都入り、破格の歓待にご満悦だったのもつかの間、曹操暗殺という大博打に出て見事に失敗するなど、とても褒められた経歴ではありません。

 

 

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

 

そんな劉備が偉人として、三国志において名を刻んでいる理由は、関羽(かんう)を始めとするそうそうたる将軍たちや、諸葛亮(しょかつりょう)龐統(ほうとう)といった軍師に加え、孫乾(そんけん)伊籍(いせき)麋竺(びじく)法正(ほうせい)などなど、列挙にいとまがない優秀な官吏(かんり)たちが、彼を強力にサポートしていたからにほかなりません。

 

劉禅に降伏を勧める譙周(しょうしゅう)

 

つまり、蜀の建国という一大事業を除けば、劉禅と劉備のしてきたことにさほど違いはなく、「政治的バランス感覚」という才能は、優柔不断で風見鶏(かざみどり)のようにフラフラしていた父より、劉禅の方が優れていたとさえいえます。

 

 

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劉禅が辺境「蜀」の君主として残した功績と罪

孔明と劉備、関羽、張飛

 

 

劉禅が蜀を引き継いだ当時、蜀の置かれていた立場は非常に危うく、屋台骨だった関羽・張飛もそろってこの世を去っており、234年に諸葛亮が没すると、より一層「蜀1弱」の傾向が強まりました。

 

 

君たちはどう生きるか?劉禅

 

 

そんな状況下で、40年もの長きにわたり社稷を守り抜いた劉禅は、例え「良きにはからえ君主」であったとしても、三国史上類を見ない稀有な皇帝であるといえます。もちろん、黄皓(こうこう)の言を疑いもせず姜維(きょうい)への援軍要請をスルーした挙句、大した抵抗もしないまま成都(せいと)を明け渡して蜀を滅亡させた、2代目皇帝としての「罪」があるのは事実です。

 

 

降伏する劉禅

 

 

しかし、この無血開城により蜀に生きる多くの民が、戦渦に巻き込まれなかった点は「功績」といえるでしょう。

 

 

 

劉禅と豊臣秀頼を入れ替えるとよくわかる真の姿

 

生い立ちや境遇など、劉禅と近い立場にあるのが天下人豊臣秀吉(とよとみひでよし)の長子、豊臣秀頼(とよとみ ひでより)です。

 

貧しい身分から成り上がった偉大なる父を持ち、その地盤を年端もいかぬ身で、引き継いだ2代目当主。そして、自らの代で帝国を滅ぼしたバカボンであり、劉禅の場合は姜維(きょうい)。秀頼の場合は石田三成(いしだ みつなり
)
という、「徹底抗戦」を主張する家臣(かしん)がいました。

 

何本も翻る軍旗と兵士(モブ)

 

さらに2人とも天下を分ける大戦に、「旗頭(はたがしら
)
」としても参加していないことも共通しますが、唯一違うのは当時の蜀と、豊臣政権との国力の差です。関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい
)
時点で家康陣営と豊臣陣営との力は五分、いやむしろ豊臣方優勢であったとすら言えるでしょう。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

 

タラレバになりますがおそらく秀頼公出陣となれば、まともに攻められる家康方大名は少なく、豊臣方の圧勝となっていたはず。一方、蜀は十中八九勝てる見込みのない戦い、社稷を守るのが使命である劉禅が、戦いに一切かかわらなかったことを責めるのは、少々酷というものです。

 

 

三国志ライター 酒仙タヌキの独り言

酒仙タヌキ 三国志ライター free

 

そもそもの話をすると、三国時代含め古代中国王朝の皇帝が戦場への参陣はおろか、政治に口を挟むことすらほとんどなく、玉座に座し朝廷百官の働きを威厳を保ちつつ、黙って見守るのがその役割でした。

 

 

曹操

 

 

古代中国の帝王学的に言うなら、戦場を駆け巡り自分で何でもしないと気が済まない、曹操(そうそう)の方が異例で劉禅の方が泰然自若、落ち着いていてどんなことにも動じないが、「真の帝」と思えてなりません。「安楽公」という、なんとも体を名で示すような地位に封じられた彼は、271年に65歳でこの世を去りました、諡号(しごう
)
は思公。

 

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酒仙タヌキ

酒仙タヌキ

小学生のころから司馬遼太郎を読み漁ってきた筋金入り、高校在学中に中国にホームステイしたころから雄大なその魅力に憑りつかれ、いまや晩酌と歴史をこよなく愛する立派な「中年歴男」に。 戦国・幕末はじめ三国志はもちろん、最近では韓流歴史ドラマにドはまり中、朝鮮王朝ロマンに浸りながら嫁タヌキの作るおつまみをつまむのが人生最高の喜び。 好きな歴史人物: 徳川慶喜、上杉鷹山、程昱、荀攸など、どっちかと言うと脇役好き。 何か一言: 歴史はそのまま政治・経済学であり、そして何より人生を豊かにしてくれる「哲学」と考えています。

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