戦国時代の武将は髭を生やしている武将が多くいます。例えば、武田信玄は立派な髭を生やしている武将です。
また織田信長の跡を継いで天下統一した豊臣秀吉も髭を生やしていました。では織田信長も立派なヒゲを生やしていたのでしょうか。今回は織田信長と髭について紹介していきたいと思います。
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髭を生やしていた織田家の重臣・柴田勝家
さて織田信長が髭を生やしていたのかどうかを紹介する前に織田家の髭で有名な人物を紹介したいと思います。その人物は柴田勝家です。織田家の筆頭家老として活躍し、武勇に優れた武将で「鬼柴田」や「瓶割り柴田」のあだ名を持った人物です。その柴田勝家の髭はかなり立派です。
ウィキペディアで柴田勝家と調べてみると彼の肖像画が表示されますが、かなり立派な髭を生やしている武将なのがわかると思います。
織田信長も立派な髭を生やしていた??
柴田勝家は立派な髭を生やしていた織田家の重臣ですが、織田信長も柴田勝家のように髭を生やしていたのでしょうか。
宣教師ルイス・フロイスは織田信長の容貌等を自分の日記に記録していたので紹介したいと思います。宣教師ルイス・フロイスによれば「織田信長は背が高くスラっとした人物で、人と話すときには前置きが長い人物と話すのを嫌っていた。
そんな織田信長の容貌は戦国時代の大名には珍しく、髭の少ない大名であった」と記されています。
確かにウィキペディアに掲載されている織田信長の肖像画もルイス・フロイスが指摘するように、顔に髭が書かれていません。
もし宣教師ルイス・フロイスの記録に書かれていることが正しければ、ウィキペディアに乗っている織田信長の容貌が正しいのかもしれませんね。
髭を生やしていない戦国大名は少なかった
織田信長は髭をあまり生やしていない戦国大名ですが、他にも髭を生やしていない戦国大名がいたのでしょうか。
調べてみた結果、戦国時代では髭を生やしている戦国大名や武将が多くいました。それはどうしてなのでしょうか。理由としては髭を生やしていた方が、威厳があり、敵を威圧することができるためです。
そのため戦国時代では武田信玄や豊臣秀吉、上杉謙信など多くの戦国大名が髭を生やしており、髭を生やすことが流行っていたと言えるでしょう。
戦国史ライター黒田レンの独り言
戦国時代には多くの大名や戦国武将が髭を生やしていました。
しかし徳川家康が天下統一を果たして江戸幕府を開くことになると戦国時代に流行っていた髭が、一転して流行しなくなります。そして江戸幕府に組み込まれた大名たちは、一斉に髭を剃り始めて清潔な容貌に変化していくのです。
どうして徳川幕府の大名達はヒゲを剃り始めたのでしょうか。その理由は髭禁止令が発令されたからです。
江戸幕府の4代目将軍徳川家綱は髭を生やすことを禁止する禁止令を諸大名へ命令したそうです。どうして徳川家綱は髭禁止令なんてしたのでしょうか。それは徳川幕府の時代は戦国時代のように戦が継続している乱世じゃなく平和な時代でした。
そのため戦国時代に流行ったように髭を生やして人を威圧するような風貌をする必要が無くなったと考えたからです。そしてこの髭禁止令は徳川家綱が発令してから徳川幕府が滅亡するまで続くことになり、200年ほどこの禁止令が継続して行われます。
そのためこの髭禁止令以降、徳川幕府の歴代将軍の中で髭をしているのは徳川最後の将軍で多彩な趣味を持っていた徳川慶喜だけです。
他に髭の肖像画が残っているのは徳川慶喜のお父さん・徳川斉昭だけでした。このように非常に厳しく髭禁止令が発令されましたが、一定の条件に当てはまる人は髭を生やしていても良いとされていました。
その条件にあてはまる人は医者や山伏、神官などの職業についている人達のみ髭を生やしていいことになっていたそうです。
■参考文献 信長公記を読む (歴史と古典)など
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