以下は、作者と創作キャラクターとの不思議なカンケイのお話です。
小説にせよ漫画にせよ映画にせよ、キャラクターなるものを扱う創作の世界では、よく起こること。すなわち、「想定外のキャラ立ち」という不思議な現象の、お話です。
作者はさっさと殺すつもりでいたキャラクターが、やけに読者に愛されて、想定外のメインキャラに昇格してしまったり。本当はたいした役割はなかったはずのキャラが、読者の人気を集めた為に、当初は主人公がやるはずだった役割を代行することになったり。
長らく中国の庶民の間で親しまれてきた三国志のキャラクターにも、そのような、「想定外のふくらみ」が、いろいろと起こりました。
たとえば、けっきょく本名は単福なのか単福なのか徐福なのか、作者も混乱して使っているうちに、むしろキャラとしては神秘性が高まってしまった、徐庶のように!
というわけで今回は、「千の名前を持つ男」ならぬ徐庶と、作者の羅漢中の関係についての、お話です!
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この記事の目次
忘れがたいキャラクター、三国志演義の徐庶のインパクト!
よく知られているように、日本で読まれている「三国志」の漫画や小説の多くは、実際の歴史書(正史)ではなく、それをいろいろと脚色して物語性を高めた、羅漢中の小説、『三国志演義』を原作にしています。
それゆえ、日本の三国志ファンには、徐庶といえば、以下の、三国志演義で描かれたイメージが、定着しているのではないでしょうか?
徐庶とは、曹操に追われて、荊州で小さくなっていたところの劉備の前に、颯爽と登場する、お助けキャラである。徐庶とは、仲間になった途端、曹操軍の大軍を二連続で撃破するというミラクルを遂げた男である。
徐庶とは、それまでは関羽や張飛といった勇猛な将軍に頼っていた劉備軍に、頭で戦うスマートさを教えてくれた、「劉備軍が初めて雇った軍師」である。
徐庶とは、劉備玄徳の頭の中だけでなく、読者の頭の中にも、「優秀な軍師というものを雇うと、こんなにいいことがあるのか!」という印象を植え付けておきながら、
あっけなく曹操軍の計略に落ちて去っていった、消化不良感にあふれる男である。
ところが、その別れぎわに、「劉備様、がっかりしないでください、私よりも優秀な軍師がこの国におります」と、諸葛亮孔明を紹介してくれる、いささか回りくどいカマセでもある。
こういう物語の流れになっているので、読者としては、「この徐庶よりもすごい軍師って、どんな人だろう?」と、孔明登場に期待を寄せてしまうわけです。実に、うまい構成です!
意外?!正史における徐庶の扱いは、けっこう「フツウ」な感じだった
ところで、この徐庶という人物、正史のほうでは、こんな扱いではありません。
劉備軍に加わっていた人材ではあるのですが、数倍の兵力差を覆して曹操軍を二連敗させるなどという鬼神のような働きはしていない。だいいち、孔明と入れ替わりで劉備軍を去ったわけではない(たぶん、時期としては、孔明と一緒に働いていた人だった)。
演義では、曹操軍の計略に嵌まり、やむを得ず寝返ったことになっているが、実際は戦時の混乱の中で逃げ場をなくし、やむをえず曹操軍に投降した模様。という次第で、決して悪い人材というわけではないのですが、あくまでも有能な仕事人という印象。
演義のようなスーパーマンではありません。この人物が、どうして、三国志演義では、あのような神秘キャラになったのか。
名前をめぐるミステリー。ともかく、本名は「徐福(じょふく)」らしい
三国志演義の作者、羅漢中が、この徐庶という人物を重要な役割に使ったのは、どうやら、名前をめぐる混乱が原因のようです。
三国志演義の徐庶は、最初は「単福」と名乗って登場し、あとから「実は単福というのは偽名でした」「本当は徐庶です」「でも、徐福ともいいます」「なんかややこしくてすいません」みたいな、謎めいた発言をする。単福という、妙においしそうな名前、どこから出てきたのか?
金文京の『三国志演義の世界』という本において、以下のような解説がされています。正史には、徐庶は「もとは単家の子で、庶と名乗る前は、福という名前だった」とあります。
この記述から、「単福」という名前が出てきたというわけですが、金文京さんの指摘によると、この「単家の子」という表現は、名前ではなくて、「身寄りのない貧乏な家の子」という意味。
古代中国の慣用表現で、羅漢中の時代にはない表現だったため、羅漢中が「単家の出で、福と名乗ったのなら、この人の名前は単福ってことか」と誤解してしまったらしい、というわけです。
しかし、これは「羅漢中のミスだった」で済ますわけにも、いかない問題です。というのも、この名前のややこしさが、「複数の名前を使い分けて生きてきた風来の軍略家」という、強烈なキャラ立ちを、徐庶に与えることに、成功しているからです。
「間違いで済ますには、なんか、ワザとらしくない?」と、思いませんか?
三国志ライター YASHIROの独り言
私個人は、羅漢中は間違えたのではなく、なかば確信犯的に「単福」という名前を導入したのではないか、と推測しています。これは創作テクニックだ、とみているわけです。
彼の名前が単福なのか徐福なのか徐庶なのか、というのは、羅漢中の時代の民間伝承でも話題となっていた「ネタ」だったのではないでしょうか。羅漢中はその民間伝承上の混乱を、自分の作品に取り入れて、「偽名を使って生きる男」として徐庶のキャラクターを膨らませてみたのではないでしょうか。
いずれにせよ、この「名前をめぐる混乱」のおかげで、三国志演義に登場する徐庶も、その影響下に書かれた現代日本の漫画や小説の徐庶も、風のように颯爽としたオーラをまとった神秘キャラとして、生き生きと活躍できているのでした。
作者の想定外?
間違いが生んだ、ケガの功名?
いえいえ、個人的には、これはワザとだった、と信じております!
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