織田信長の作品の元になっている『信長公記』とルイスフロイスの『日本史』を紹介

2019年4月14日


 

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織田信長(おだのぶなが)は戦国時代の歴史上の人物の中で最も人気のある人のうちの1人です。信長は現在において小説・マンガ・ドラマになっています。小説やドラマなどの題材になっている織田信長については自ら直接書いた日記や作品がありません。

 

詳細な記録が残されていることからドラマなどの題材になりやすいと考えられます。この記事では、織田信長について史料として信憑性があると評価されている作品の中から太田牛一(おおた ぎゅういち)の『信長公記(しんちょうこうき)』とルイスフロイスの『日本史』を取り上げます。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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太田牛一『信長公記』とは?

 

太田牛一は1527年尾張国(おわりのくに
)
に生まれました。

出家していましたが、織田信長から弓の名人として認められ、以降信長の家臣となりました。

 

牛一は戦いにも参加していますが、信長の近習の書記として活動します。書記になると、信長の戦い方や日常生活に至るまでまで詳細に記録しています。詳細な記録には年号や日付・時間などが入っていることから、織田信長を知る重要な史料となっています。また、戦国時代や安土桃山時代(あづちももやまじだい
)
の中で最も信憑性が高いと評価されています。

 

豊臣秀吉 戦国時代

 

1583年に本能寺の変で信長が自害すると、太田牛一は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家臣となりました。秀吉の家臣になると、牛一は『信長公記』を仕上げます。歴史秘話ヒストリアでは、太田牛一のことをメモ魔として紹介し、そのメモが歴史史料になったその時を取り上げました。本能寺の変後、牛一は信長の最期を知りたいという思いが強くなり、当時本能寺にいた女中らから話を聞き取りました。その最期の言葉が「是非に及ばず」だったと言われています。

 

太田牛一は1610年に病気で死去しました。信長公記は写本で後世に伝えられ、現在では文庫本で出版されています。

 

 

 

ルイスフロイス『日本史』

宣教師 ルイスフロイス

 

もう1つ織田信長を知るときに重要な史料となるのはルイスフロイスの『日本史』です。ルイスフロイスは1532年にリスボンに生まれました。1563年頃から九州に上陸、室町幕府13代将軍足利義輝の頃に京で布教を許されました。京でキリスト教の布教活動をしていたとき、13代将軍足利義輝が松永久秀に暗殺されます。

 

足利義輝が暗殺されると、フロイスたちは堺に避難しました。織田信長が15代将軍足利義昭を奉じて上洛した頃、フロイスは信長に会うことができました。この時に京での布教を許されました。

 

地球平面説 天動説

 

ルイスフロイスは著書の『日本史』で信長を次のように評価しています。信長は理路整然とした話を好む性格で「地球は丸い」ということを理解していたということです。当時、ヨーロッパで地球は丸いと主張すると宗教裁判にかけられていました。

 

燃える本能寺

 

本能寺の変が起こりました。本能寺の変後もフロイスは日本にとどまり、『日本史』の執筆に専念していました。本能寺の変で明智光秀に従軍していた兵士から聞き取ることができました。

 

明智光秀 麒麟がくる

 

当時、明智光秀らから何も知らされず、毛利攻めから急遽京都に進軍しました。明智光秀に従軍していた兵士のほとんどが当時堺にいた徳川家康を討つと思っていたようで、信長を討つということを知りませんでした。本能寺の門が簡単に開いたことから不意打ちだったということを知ることができます。

 

本能寺の変の特集

 

 

戦国時代ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は小説・マンガ・ドラマの題材になっている織田信長について取り上げました。小説など様々な作品の題材になっていることから、織田信長の詳細な記録が残され、かつ信憑性が高いと評価される史料・作品の中から太田牛一の『信長公記』やルイスフロイスの『日本史』を紹介しました。

 

2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』で、本能寺の変のシーンにおいて、明智光秀に従軍していた兵士のほとんどが本能寺を攻めることを知らされていたのか注目したいと思います。

 

■参考文献 信長公記を読む (歴史と古典)など

 

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【動画】織田信長がつけた抜群のセンスを感じる あだ名8選

 

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