今回、わたしがが紹介するのは、「はじめての三国志」ではおなじみの武将同士の強さを決めてみたいと思います。いったいどの武将を紹介するのか。
今回は自分の身を棄てて孫権を守った周泰と諸葛孔明が蜀の丞相として蜀の国政を運営していた時代、蜀軍のトップとして君臨していた魏延。この二人の強さについて正史三国志を参考にしながら、レンの判断で紹介したいと思います。
武勇においては周泰と魏延どっちが強いの!?
まずは周泰と魏延の武勇の強さについて紹介したいと思います。周泰と魏延はいったいどちらが強いのでしょうか。レンは武勇において魏延よりも周泰の方が強いと思います。では周泰がどのくらい強いのか紹介いたしましょう。
周泰は孫策が異民族討伐へ出陣した際、孫権と一緒に後方の城を守っていました。この時異民族は孫権と周泰が守っていた城へ奇襲攻撃を行います。城を守っていた兵士達は異民族の奇襲攻撃を受けて、大混乱に陥り、アタフタしてしまい孫権の元を離れてしまいます。孫権は異民族の奇襲攻撃で軍勢が混乱していた為、異民族の兵士達の攻撃を受けてしまいます。この時、周泰は孫権を守るために一人で数十人の異民族の兵士達と闘い、数十人を倒します。
その後周泰は体に数十の傷を負いながらもなんとか、孫権を守り抜くことに成功。このことから周泰が武勇に優れた人物であることが伺えます。しかし魏延は周泰のような一人で何十人もの敵を倒したなどの記載が正史三国志にはありません。このため、個人の武勇の点では魏延よりも周泰の方が強いと言えるでしょう。
戦術面では魏延と周泰どっちが優れてるの!?
個人の武勇の点では魏延よりも周泰の方が強いと言えるでしょう。では大軍を指揮して敵軍を打ち破る戦術の面では魏延と周泰どちらが優れているのでしょうか。戦術面においては周泰よりも魏延の方が優れていると言えます。では魏延が戦術面でどれくらい優れているのか紹介したいと思います。
魏延は劉備が益州攻略戦を行った時に一隊長として参加し、益州攻略戦で戦功を挙げていき、将軍の位を与えられます。劉備は魏延の実力を高く評価し、漢中王になった時、蜀の守りの要・漢中の太守に魏延を任命。このことから魏延が守りにおいても優れていた人物であることが伺えます。
また魏延は攻めに関しても優れていた人物です。
諸葛孔明は劉備の遺言から丞相として蜀の国政を運営していく事になり、蜀軍を率いて魏を討伐するための北伐戦を度々行います。魏延は諸葛孔明に従って北伐戦に参加し、魏軍を打ち破る功績を挙げています。また魏延は魏の大都市・長安を攻略するための作戦を立案し、諸葛孔明へ提案しています。
このことから魏延が守りと攻めに優れた人物でだけでなく、しっかりと戦術を組み立てる事もできる将軍でだった事がお分かりになったと思います。周泰は赤壁の戦いで曹操軍を打ち破る戦に参加したり、荊州攻略戦で功績を挙げています。
しかし周泰は魏延のように万人の兵士や将軍を率いて戦いを行った実績が少なく、戦術面でどの程度の実力があるのかちょっとわかりません。そのため戦術面においては周泰よりも正史三国志に実績が残っている魏延の方が優れていると考えられます。
【北伐の真実に迫る】
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は周泰と魏延のどちらが優れているのか紹介しました。
武勇面においては魏延よりも周泰の方が優れているので、君主を守る親衛隊ならば周泰の方が適切だと思います。しかし敵軍を打ち破る戦術的な才能に関しては、周泰よりも魏延の方が優れていると言えるでしょう。
周泰と魏延のどっちが強いか甲乙をつけがたいですが、国家の視点で考えた場合、戦場で敵に勝ち続けなくてはならない為、魏延の方が優れていると思います。あくまでこれはレンの個人的な視点での考えであるため、その点は了承していただければと思います。
■参考 正史三国志蜀書・呉書など
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