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司徒とはどんな役割?具体的に何をする?チベットでは今も存在する司徒

2019年5月26日


 

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曹操丞相えらいねんで!

 

後漢(ごかん)や三国時代に呼び名や役目が変わった司徒(しと)。なじみのない言葉なので、人名なのか地位を表すものなのか分かりづらいのが本音。ここでは中国の司徒の役目や歴史について紹介していきます。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



始まりは古代中国・舜の時代

孫権の遺言で丞相に就任する諸葛恪

 

当初、司徒は地方役人のトップを示す職位でした。前漢(ぜんかん)の時代になると名称が丞相(じょうしょう
)
に変更されます
。ところが前漢から後漢の時代になると三公と呼ばれる大臣のトップ3の役職名が「大司馬(だいしば)大司徒(だいしと)大司空(だいしくう)」となり、再び司徒の名称が復活するのです

 

 

 

三国時代の司徒

孫権に初代丞相として任命される孫卲(そんしょう)

 

三国時代には「太尉(たいい)司徒(しと)司空(しくう)」が大臣のトップ3となります。いずれも正一位というプレミアムな地位でしたから、皇帝以外は誰も逆らえませんでした。

やがて蜀漢(しょくかん)()()の三者鼎立となりましたが、それぞれの国に司徒が存在しました。

 

華歆(華キン)

 

最初に司徒を置いたのは魏で「華歆(かきん)」が西暦220年~226年の間、司徒の役目を果たしています。それまで相国(しょうこく
)
と呼ばれていた官位を曹丕(そうひ)が司徒に改め、華歆を役職に。

 

しっかりと仕事をこなす華歆(華キン)

 

ところが軍事の会計担当は尚書(しょうしょ
)
という役職にまかされ、司徒の力が少し弱まります。何を隠そう司徒の役目は国の収入や支出を管理すること。乱世の時代の軍事費を操作できないとあっては、司徒の名折れです。

 

許靖

 

次に司徒を置いたのは蜀漢で西暦221年のことでした。わずか一年あまりですが、「許靖(きょせい
)
」という人物が就いています。

 

 

人事を担当する許靖

 

 

劉備(りゅうび)が皇帝の座に就いたときに司徒に任命され、三公に列せられました。

 

呉征伐で活躍し、魏の重臣になる王昶(おうちょう)

 

もっとも遅かったのは呉の国です。しかし、三国の中では一番長く国を運営。西暦268年の話で「丁密」が司徒として5年間、役目を果たしました。

 

 

斉王になる司馬攸

 

 

同じ時期に魏は晋にとってかわり、「司馬望(しばぼう
)
」が司徒に就いています。

 

 

 

晋は家族経営の国家

年を取った司馬懿

 

晋の礎を築いた司馬懿(しばい)。実は司徒となった司馬望のおじさんに当たります。国家の財布を甥が握り、トップに叔父が就くという家族経営的な晋という国家。まさに司馬一族の独壇場だったのです。

 

 

 

具体的に司徒は何をしたの?

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

時代によって呼び名や役目が変化しますが、前漢時代の大司徒は国家の財政管理していました

現在の日本の財務省や日本銀行のように前漢時代にも似たような組織がありました。

 

部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

そのトップが大司徒だったのです。つまり、日銀総裁や財務大臣のような存在だった思えばいいでしょう。金や銀といった言葉が入っていないので、お金を管理していたとは想像しづらいですね。

 

 

作戦を提案する金禕(きんい)

 

しかし、貨幣として金や銀が出回ったのは後の話で、「司」という字に偉い人みたいな意味が込められています。いつの時代も人を動かすにはお金が必要だったのです。

 

 

チベットの大司徒・仁波切

 

 

さて、三国時代の話をされてもピンとこない読者もいるでしょう。しかし、チベットには大司徒・仁波切と呼ばれる役職名が現在も残っています。「大司徒」が役職名で、「仁波切」は個人名のようなイメージです。初代は(みん)の時代に任命された大司徒・却吉嘉辰に始まり、現在まで連綿(れんめん)と引き継がれています。

 

では、チベットでそろばんを弾いているのかと思いきや、そんなことはなく菩薩(ぼさつ
)
の化身というありがたい存在になっています。もはや人智を超えた存在です。まさか、相国から司徒にイメージアップを図った曹丕は、21世紀に司徒の役目が菩薩の化身にまでグレードアップしようとは思いもしなかったことでしょう。

 

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

古代中国から続く司徒という役職。三国志には軍師・司馬懿も登場するため頭がフリーズしてしまう読者もいるはずです。しかし、 太尉・司徒・司空という3つの役職があったことを理解できれば、自然と頭に入ってきます。名前からは想像しにくいですが、国の財政を担っていたと覚えておけばいいでしょう。

 

 

中国三大悪女03 皇帝

 

 

同時に皇帝と密接な関係にあった人物が司徒に就いていたのも事実。武将ばかりでなく、こういった内政事情にも精通していると一目置かれますよ。

 

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三国志平話

 

 

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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