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奈良時代

奈良時代はフェミニズムの時代だったの?女帝は太陽だった?

元明天皇


元明天皇

 

日本史の「奈良時代」(※)は、女性天皇が、他の時代に比べて連続して多く登場しています。持統帝を含めると、四人登場しています。

他の三名は、

 

元明天皇(げんめいてんのう
)
」[661年~721年]

元正天皇(げんしょうてんのう
)
」[680年~748年]

孝謙天皇(こうけんてんのう
)
」[718年~770年]

 

です。また、四人目の孝謙帝は、再度「称徳天皇」として即位していますから、四人五代の女性天皇が登場したことになります。これは、当時がフェミニズムの時代だったことを意味するのでしょうか?探っていきましょう。

 

 

[(奈良時代※)この時代は、主に、710年~794年を指すと言われています。説によっては、「壬申の乱」(671年)が終結してから、奈良時代に入るという見方もあります。皇位継承の系譜が、天武帝と持統帝から一筋の繋がりがあるからでしょう。ここでも、後者を採用したいと思います。]

 

自称・皇帝
当記事は、
「奈良時代 フェミニズム」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門

関連記事:【壬申の乱の謎】天武帝は新羅と同盟を結んでいた?大海人皇子が予測した未来とは?

関連記事:「壬申の乱」が古代日本のフェミニズム時代をもたらした?持統帝の存在感と影響力

 


 

奈良時代の女帝の記録は真実だったの?

 

ただし、21世紀の現代のように、明るいフェミニズム到来という訳ではなさそうです。

(最も、現代も、全てが明るさで照らされている訳ではないのが事実ですが。)

 

ですから、女帝に、朝廷の中央の権力が集中させられたと言うには無理があるかもしれません。確かに、『続日本紀(しょくにほんぎ)』という書物に、女帝だった、元明帝や元正帝の実績について書かれています。(これは『日本書紀』の続編で、歴史書の面もあると言われています。)

 

その中には、「平城京遷都」や「大宝律令」の完成への大事業に、その女帝たち主導によって為されたという記述もあるのです。しかし、その記述は、当時か、後世の権力者の作為によるものだったかもしれない、という見方もあるでしょう。事実隠蔽や書き換えがあったかもしれません。もっと、事態は複雑だったと考えるべきでしょう。

 


 

三つ巴の古代豪族たちの争い

 

連続した、女帝登場の裏には、豪族たちの争いがあったと考えられるでしょう。天皇を支える豪族たちの間に起こった権力争いです。中でも目立つのは、藤原一族でしょうか。特に、奈良時代は、藤原一族が勢力を拡大しようとしていたと見える時代です。

 

それは、当時の即位した天皇の系譜を見ても分かります。例えば、東大寺大仏建立時の天皇であった、「聖武天皇」[701年~756年]の母は、藤原不比等の娘の「宮子」でした。つまり、聖武帝は藤原不比等の孫に当たります。

 

その聖武帝の後を継いだのが、実の娘の孝謙帝でした。孝謙帝は、不比等の血を継承していることになりますから、藤原一族なのです。そうなると、藤原一族の隆盛の時期とも言えそうです。

 

しかし、この時代、聖武帝や孝謙帝の在位の前後の時期は、藤原一族と、その周辺の間に争いがあったことが確認される時期です。まず、「長屋王の変」(729年)です。

 

長屋王(ながやのおおきみ)」とは、天武帝の直系の孫にあたります。皇位継承権を持つ人物でした。この人物が謀反の疑いで、自害に追い込まれる事変が起きたのです。

 

その長屋王と対立していたのが、藤原不比等の息子たち四人、「武智麻呂(むちまろ)」、「房前(ふささき)」、「宇合(うまかい)」、「麻呂(まろ)」

でした。通称、「藤原四兄弟」と呼ばれていた兄弟です。

 

長屋王の死により、藤原四兄弟が、政権の中枢の権力を握ったと言われています。しかし、数年後の737年、天然痘の流行により、四兄弟は相次いで病死します。同じ年に、同族の兄弟の四人が病死してしまったのですが、これは、政治的な背景があって、政敵の存在が暗殺したのではないかと勘繰りたくなる事件です。

 

その政敵とは?

まず、自害に追い込まれた、長屋王の周辺が浮かびます。皇族関係者でしょうか?さらに、勘ぐろうとすると、当時の表の歴史には、目立って登場しない、豪族たちの名前が浮かび上がってきます。

 

「物部」と「蘇我」です。

 

この時代、権力の中枢にいないながら、これらの一族は、宮廷には残っていたと言われています。その古代を代表する豪族たちの行方も、次回以降に追っていきたいところです。


 

男女同権の皇位継承時代か

 

今回は、奈良時代の女帝たちが、傀儡などの名ばかりの存在であったか、それとも、権力の中枢で、その力を振るったかについての話に絞ります。そして、その答えは、十分に力を振るえたということです。

 

その根拠は、まず、718年に編纂されたと伝わる「養老令」という法令です。その中の記述に、

 

「凡そ皇の兄弟、皇子をば、皆親王の為よ。

[女帝の子も亦同じ]」

 

とあります。

 

これは、男帝の子でも、女帝の子でも、その配偶者の身分に関わりなく、全て親王とされるという意味です。女帝と男帝は同等であることを指しています。

 

また、これより遡って(さかのぼって)、

701年に制定された「大宝令」の注釈にも

同じような記述があります。

 

「女帝の兄弟は男帝の兄弟の一種なり」

です。

 

男女同等と認められているのです。傀儡や中継ぎの存在なら、法令などで、女帝の存在が認められないのではないでしょうか?あるいは、敢えて女帝の存在を法令などには書かないのではと考えてしまいます。

 

女帝の地位が認められていた証拠になりうるでしょう。

 


  

 

 

女帝は太陽だった?

 

ただし、それは、日本で初めての法令が制定された当時に、健在だった「持統天皇」の力の賜物と言えると考えられるでしょうか。法令制定により、女帝の存在を正式なものとしたのですが、朝廷の支配層の全てを認めさせるまでにはいかなかったようで、それは後代に引き継がれることになります。

 

しかし、女帝が百年近くに渡り、連続して輩出されたのは、それを求める声があったと言えるでしょう。

 

卑弥呼

 

これは、邪馬台国の女王の卑弥呼(ひみこ)やトヨ(台与)が登場した経緯と重なる気がしてなりません。それは、豪族同士の争いや内乱などの混乱を終息させる意味合いがあったということです。男同士では、争いが絶えないから女帝を頂きとして求められたのです。

 

 

さらに言えば、

「太陰暦」が重宝された時代だったことも大きな理由ではないでしょうか。

 

太陰暦では、太陽を支える月影の存在に重きを置かれました。日を照らす存在は、女性であり、天皇にも、ふさわしく、それを支えるのが、月影の如くの男性の存在であるべきだという考えが浸透していたかもしれないと考えるのです。

 

 

コーノ・ヒロの独り言(おわりに)

コーノヒロ(はじめての三国志ライター)

 

それが、天武帝と持統帝の二人が望んだ、理想的な朝廷の形であったのではないかと考えてしまいます。例え、藤原一族に権力の中枢に入り込まれようが、女帝が太陽のような存在感を輝き続けさせようとする力が、今から約1300年前の奈良時代には根付いていたのではないかと考えます。

 

【参考文献】

 

・『女帝の世紀 皇位継承と政争 (角川選書)

・『古代東アジアの女帝 (岩波新書)

・『持統天皇と藤原不比等 (中公文庫)

・『女帝―古代日本裏面史

・『女帝の古代史 (講談社現代新書)

・雑誌記事『女帝の世紀 皇位継承と政争 (角川選書)

・『ツクヨミ 秘された神 (河出文庫)

 

 

コーノ・ヒロ

コーノ・ヒロ

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