三国志では「異名」が良く出てきます。
諸葛亮なら伏龍、龐統なら鳳雛、古の豪傑になぞらえて悪来……などなど、とても全員分をここでは書ききれません。そこで今回は三国志の主人公格の一人でもある劉備に注目して、その異名にどんなものがあるのか調べてみました!
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劉備の見た目の異名
まずは見た目から名付けられた劉備の異名として「大耳児」というものがあります。これはどちらかというと蔑称のようなものであり、処刑される前の呂布が劉備をこう呼んだとされています。肖像画で見る限りでは「大きめ」といった印象ですが、当時としては大きい耳だったのかもしれません。
因みに劉備の見た目は他にも非常に特徴があり、膝まで手が長いだとか、目が自分の耳を見ることができたなどというトンデモ記述が残されています。こちらは『三国志人物鑑定辞典』で「多才」「細かいところまで目端が利く」という劉備の聡明さを表した文章なのではないかと説明をされていました。
それと劉備は「蜀書」によると「潞涿君」、髭の薄い人物という意味で呼ばれたこともあります。虎髭、美髭と呼ばれた二人の義兄弟と比べると劉備が髭が薄いというのは、こちらもいまいち褒められている感じがしない呼び名ですね。
「泣きの劉備」という異名がある!?
さて劉備の呼び名を調べていると「泣きの劉備」という単語が出てきました。こちらは筆者も聞いたことがありません。そこで三国志を必死に調べてみたのですが……一体どこに記述があるのやら。
申し訳ないのですが正史である三国志は、ほんの少しの調べ物をするのに向いていない……。ですが何度か読んでいますが、劉備にそんな異名があると見かけたことは記憶にありません。もしよろしければ正史のどこにそのような記述があるのか、皆さんこっそり教えて頂けると幸いです。
しかし「異名があった!」「でもどこにあるのかソースは分からん!」ではお話になりませんね。そこでこの泣きの劉備に関して、ちょっとした考察をさせて頂きたいと思います。
良く泣く劉備、良く笑う曹操
三国志演義を見ると、曹操は非常に良く笑います。豪快に笑い、時にニヤリと含み笑い、曹操は非常に良く笑います。対して劉備と言えば、とても良く泣いているのです。
時に不安を抱き、時に不満を抱き、時に誰かのために、時に自分の身を振り返って……劉備は曹操に比べて、非常に良く泣くのです。これは一種の対比として、三国志演義で二人の英傑に添えられた演出、イメージでしょう。
これを踏まえて「泣きの劉備」という言葉が生まれたのでは……?というのが筆者の考察です。
「先主」という呼び名「劉皇叔」という呼び名
劉備の諡号は昭烈帝と言いますが、三国志では先主と呼ばれています。劉備のあとを継いだ劉禅は後主と呼ばれています。
またこちらは三国志演義ですが、劉備は途中から「劉皇叔」と呼ばれるようになります。この文字から察することができますが、これは「皇帝の叔父」という意味です。この呼び名、異名はちょっと不遜な呼び方だなぁと思ってしまいますね。
というのも劉備は前漢の景帝の第9子、中山靖王劉勝の庶子の劉貞の末裔と言われています。
が、劉勝は子と孫も含めて120人以上の子を残しているので、その系譜は物凄くややこしいことになっているので、実際にはどこまで本当かどうかは……ちょっと、うーん……という所ですね。しかし三国志演義ではこれが皇帝の前で正式に認められるという驚きのシーンが描かれているので、劉備の呼び名としてこの異名があるのでしょう。
貴種流離譚ではありませんが、高貴な人物が色々な流れを汲んで元の高貴な身分へと戻っていく……これは現代でも「受ける」ストーリーでもあるので、三国志演義ではこれをいち早く取り入れていた、と筆者は考えています。
三国志ライター センの独り言
劉備の異名に関して、色々なものを調べてみました。今回は劉備でしたが、三国志では他にも色々な異名が出てきます。皆さんはどんな異名が好きですか?
なお筆者は断然「伏龍」「鳳雛」です。良ければ皆さんも自分の好きな異名を、教えて下さいね。
参考:劉備 wikipedia
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