劉琮は荊州全土を挙げて曹操へ降伏する気は無かった?

2019年9月6日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

劉琮

 

荊州の主として長期間統治していた劉表(りゅうひょう)の跡を継いだ劉琮(りゅうそう)。劉琮は劉表の死後、中原から河北まで統治していた大勢力・曹操(そうそう)に抵抗することなく、降伏してしまいます。

 

曹操に降伏する劉琮

 

このことは『はじめての三国志』の読者の方ならご存知かと思います。ですが、劉琮は曹操へ初めから降伏しようと考えていたわけではありません。

本当でしょうか。

 

自称・皇帝
当記事は、
「劉琮 荊州」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:何で劉備は劉表からの荊州譲渡を断ったの?第6感で決断した劉備の意図とは?

関連記事:劉琦を劉表が後継者にしなかったから○○になった!?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



荊州の主として君臨

後継者を決めるのに困っている劉表

 

劉表は荊州の主として州都・襄陽に住んでいましたが、亡くなる間際、可愛がっていた次男・劉琮を自分の後継者にしようと考えていました。そのため劉表は長男・劉琦を江夏へ追い出し、劉琮を後継者に決定。

 

劉表死す

 

その後劉表は病のために亡くなってしまいます。こうして劉表の跡を継いで荊州の主として君臨した劉琮ですが、情勢は難しい状況でした。

 



曹操の大軍がやってくる!?

曹操と機密保持

 

曹操は袁家を打倒した事で、今まで領土として保有していた中原に加えて、河北全域を手中に収めることに成功します。その結果曹操の領土は中国の半分以上を手にした大勢力として成長。

 

曹操

 

次なる曹操の目標は天下統一の為、荊州を併合する事です。このような状況の中、劉琮は荊州の主へ就任。劉琮は近い将来、大軍を率いて荊州へやってくるであろう曹操軍に対してどうすればいいか思案をすることになります。

 

側近達からの進言

蒯越(カイ越)

 

劉表の側近として活躍していた蒯越(かいえつ)韓嵩(かんすう)傅巽(ふそん
)
らは協議。その結果彼らは「このまま曹操軍と荊州全土を挙げて戦っても勝てる見込みが少ないから、戦いが行われる前に曹操へ降伏する方がいい」と結論を出します。ですが、劉琮の考えは彼ら側近達とは違っていました。

 

荊州の主の考えは

劉琮

 

蒯越達が今後の展望について結論を出した頃、荊州の主は違う考えを持っていました。荊州の主・劉琮は「私は先君の意志を引き継いで荊州の主となったが、このまま形勢を静観しよう」と考えます。

 

このことから劉琮は荊州の主として君臨したころは、曹操へ降伏する考えを持っていなかったと思われます。さて劉琮は側近であった傅巽へ自分の考えを述べると全然違う言葉が返ってくることになります。

 

降伏論へ傾く

 

傅巽は荊州を降伏させないで、形勢を傍観することに終始したいとの考えを聞かされて驚いてしまいます。すぐに傅巽は劉琮へ「物事には道理があるのはご存知かと思います。現在天子を擁している曹操へ逆らうのは物事の道理から外れています。

 

また荊州が国家に対抗するのは情勢に鑑みても、不可能だと言えるでしょう。更に先君の客人・劉備が曹操に対抗して、勝利を得るのは難しいと思われます。この三点すべてにおいて、荊州が劣っている状況で国家に逆らうのは滅亡へ向かうことになると言えるでしょう。」と劉琮を説得。

 

ですが、劉琮は傅巽の意見を聞いても納得できない表情をしていました。そこで傅巽は「殿は劉備とご自身を比較してどちらが優れていると思いますか」と質問。すると劉琮は「私の方が劣っている」と悲しそうに答えます。

 

傅巽は「劉備の力が曹操に劣っているのに、劉備よりも実力不足の殿が、荊州で独立し続けるのは難しいと言えるでしょう。もし劉備が曹操よりも力を持っていたならば、殿の下風に立つことはありません。

 

ここは曹操へ降伏するのが最善だと思います」と再度曹操へ降伏するように説得します。劉琮は傅巽の進言を受け入れて、曹操へ降伏することに決めます。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

もし劉琮が傅巽の進言を退けて、形勢を静観することに徹していれば、どうなっていたのでしょうか。曹操が軍勢を南下させて荊州を奪うかもしれない状況は、揚州を統治していた孫家にとっても気がかりな事でした。

 

魯粛

 

孫家の家臣・魯粛(ろしゅく)は荊州の様子を探るため、荊州の主・劉表の弔問の使者として、襄陽へ向かっていました。劉琮が曹操軍に降伏する道を選ばなければ、もしかしたら弔問の使者として訪れていた魯粛と会談し、孫呉と劉琮の同盟が締結していたかもしれません。

 

孫呉と劉琮が同盟を締結すれば、三国志の時代に劉備が登場するのではなく、劉琮が登場することになったかもしれませんね。

 

■参考文献 正史三国志蜀書など

 

関連記事:【kawausoミエル化計画】地味な劉表政権をミエルカしてみたよ!

関連記事:劉表の評価が高いのは三人の名士のおかげだった!荊州経営を支えた名士達

 

三国志平話

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-,