【敬老の日2019】三国志の曹丕がプレゼントをあげたお爺ちゃんとは?


 
はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし曹操と曹丕

 

2019年の敬老の日は、9月16日です。

日本においての敬老の日の由来は、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う事を目的に昭和23年9月15日に祝日法として制定されました。

従来は9月15日が敬老の日と定められましたが、ハッピーマンデー制度が導入され平成15年から9月の第三月曜日が敬老の日になりました。

しかし、敬老精神といえば、日本は隣の中国には歴史で負けているかも知れません。

なんと1800年前の三国志の時代には、あの曹丕(そうひ)が部下である重臣の鍾繇(しょうよう)の長寿を祝っている記録があるからです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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敬老の日2019、中国では重陽節

 

中国では、10月21日(旧暦9月9日)を五節句の一つで重陽節と言い老年節(敬老の日)と定めています。

この日には、高齢者に関心を示し、サポートする様々な活動が中国各地で行われているそうです。

どうして、9月9日を重陽と言うのか、それは中国において9が陽の数=奇数として、9の日が重なるから重陽なのだそうです。

 

 

敬老の日2019、菊花酒と茱萸の葉で疫病神を退治

疫病が流行った村

 

さて、重陽節には疫病神退治の伝説があります。

後漢の時代に桓景(かんけい)という人がいて妻子と共に貧しくとも慎ましく暮らしていました。

ところが、この土地には汝河(じょか)という所に疫病神が住んでいて毎年人間界にやってきて伝染病をまき散らしており、ある年に桓景の両親も伝染病の犠牲になってしまいました。

桓景は、両親の仇である疫病神を退治しようと、故郷を出て道士の費長房(ひちょうぼう)に武芸を習っていました。

さて、その年の旧暦の9月9日が近くなると師匠である費長房は桓景に言います。

水滸伝の包道乙 仙人

 

「今年の重陽には、また疫病神がやってくるから、急いで帰り退治しなさい。お前に茱萸(ぐみ)の葉を一包と菊花酒(きっかしゅ)を一瓶やるから、

村人を高い場所に避難させてから飲ませれば病気には(かから)らないだろう」

 

桓景が言われたとおりに、村人に茱萸の葉を渡して、菊花酒を飲ませると、村人は誰一人伝染病に罹りませんでした。

しかし、茱萸の葉と菊花酒を与えなかった村の牛や馬、鶏は、すべて伝染病で死んでしまったそうです。

その後桓景は青龍剣で見事に疫病神を退治して、以後、伝染病は流行しなくなりました。

この伝説から重陽の節句には、高みに登り、茱萸の葉をつけて菊花酒を飲む習わしが出来たそうです。

 

日々の生活を工夫で楽しくする『三国志式ライフハック

三国志式ライフハック

 

敬老の日2019長寿の鍾繇に菊花と長寿を祝う手紙を送った曹丕

曹丕

 

この重陽の節句は民間から宮廷にまで浸透しました。

芸文類聚(げいもんるいしゅう)によると曹操の子で後漢を滅ぼして曹魏王朝を建国した曹丕も、曹操時代からの建国の功臣で長老でもあった鍾繇(しょうよう)に、

菊の花と長寿を祝う手紙を送っています。今風に考えると敬老の日のプレゼントと考えてもいいでしょう。

 

歳往月来 忽復九月日 九為陽数 而月日並応 俗嘉其名 以為宜於長久

故以享宴高会是月律中無射 言辞木庶草 無有射而生 至於芳菊 紛然独栄 非夫含乾坤之純和

体芬芳之淑気 孰能如此 故屈平悲冉之将老 思食秋菊之落英 輔体延年 莫斯之貴 謹奉一束 以助彭祖之術

 

 

意訳:今年も9月9日がやってきました。

九は陽数であって、月も陽も重ねますから世間ではこれを喜んで、吉事が永久に続くように願い高い所に集って酒宴を開くと聞きます。

九月は無射とい、陽気が衰えて、陰気が旺盛になり言葉も草木も生気を失くすと言いますが、さりながら菊だけは香りを放って

独り繁栄しているように見えます。菊が天地の気を吸いこんでいなければ、独りでこのような事は出来ないでしょう。

かの屈原(くつげん)は、自分の老いるのを哀しみ、秋菊の花びらを食べようと思い立ったそうです。

私はその故事に(なら)い、あなたの体を慈しみ、寿命を延ばしてもらう為に心を込め菊の花を一束贈ります。

八百年を生きた彭祖(ほうそ)の延命術の助けになりますように

鍾繇(しょうよう)

 

自分の親である曹操の墓参りには向かった形跡がない曹丕ですが、鍾繇や華歆(かきん)のような三公に登ったお爺ちゃん重鎮(じゅうちん)には配慮がありました。

七十を超えていた鍾繇は膝の疾患(しっかん)があり、立ったり座ったりに難儀(なんぎ)しており、華歆も同様に体が悪い状態でした。

そこで曹丕は、朝見(ちょうけん)の儀では二人に車でやってくる事を許可し、また参内してからは侍衛(じえい)が殿上に抱え上げ席に就かせました。

孫権と張昭

 

この配慮は素晴らしいという事で、以後は三公に病気がある時は、同様の措置(そち)が取られるようになりました。

曹丕のこのような配慮は鍾繇の老齢を(いたわ)わっての事である事は間違いなく、敬老の精神と呼べるでしょう。

 

敬老の日に観測 老人の星南極老人星

始皇帝と星空

 

また、中国では古代から重陽節にカノープスを見る習慣があったそうです。

カノープスとは、りゅうこつ座のα星で南極老人星(なんきょくろうじんせい)ともいい、七福神の福禄寿(ふくろくじゅ)寿老人(じゅろうじn)のモデルとも言われます。

史記の天官書や晋書の天文志、漢書などによると、歴代の皇帝たちが都の南でカノープスを観測する習わしがあったそうです。

ただし、カノープスは、南半球では容易に観測できるものの、中国では長江流域から、その南の地域でしか観測できず

見える地域であっても、非常に低い南の空で短時間しか見られないとか・・

でも、なかなか観測できないからこそ、長寿の星として有名になったのかも知れませんね。

孫権

 

長江流域と言えば、三国志では呉の領域ですが、孫権もカノープスを見て、長寿を願ったのでしょうか?

ちなみに孫権も在位半世紀を超え、七十歳の当時としては長寿で亡くなっていますが、晩年は老害が多い人物でした。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

日本の敬老の日から中国の敬老の日、そして三国志へと話を飛ばしてみました。

冷酷非情の評判もある曹丕ですが、実の親の墓参りはともかく、曹植との後継者争いの時に、自分に味方してくれた鍾繇や華歆には、

長寿を寿ぎ、弱った体を労わるような配慮を見る事が出来ます。

黄蓋

 

人類の寿命は社会の発展と医学の進歩で伸びる一方であり、今では七十歳でも、老人呼ばわりされるのを嫌う方もいるようです。

ただ、それでもやはり年齢を重ねると、どこかしら体の具合が悪くなるのは事実。

曹丕のように恩着せがましくなく、また煙たがられずに敬老の日をスマートに祝いたいものですね。

参考文献:正史三国志 芸文類聚

 

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