キングダム「楚は弱い?疑惑の楚討伐戦」

2019年9月16日


 

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大人気春秋戦国時代漫画キングダム、その主人公と言えば飛信隊の大将、(しん)です。後には、対楚戦争で蒙恬(もうてん)を副将とし大将軍として戦う事になる信ですがその結果は惨敗(ざんぱい)でした。

 

キングダム 戦国七雄地図

 

でも、「楚は秦に並ぶほどの強国であり、いくら信でも負けるのは仕方がない」として信の敗北を青春の蹉跌(さてつ)と片付けてしまう向きもあります。しかし、事実は小説より奇なり、実は楚は弱く、信の敗北は予想外の大チョンボだった可能性もあるのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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百万の楚に二十万の秦軍を向かわす秦王政

嬴政(始皇帝)

 

楚の動員兵力は、史記や戦国策に帶甲百萬(たいこうひゃくまん)と書かれるなど、秦と同等の兵力であるかのように見えます。また、秦王政は用心深く悪く言えば猜疑心が強い人物だったので、兵力百万の楚を攻めるのに、それなりの用心をすると考えるのが自然です。

 

白耳兵を率いる陳到(兵士)

 

ところが、秦王政は楚を攻めるのに、「二十万で充分」と豪語した信を採用し「六十万ないと難しい」と言った王翦(おうせん)耄碌(もうろく)したと見做(みな)し、、楚攻略を信と蒙恬に任せて大敗させています。

 

これは、圧倒的にオカシイ記述ではないかと思います。

 

藤甲軍(南蛮兵士)

 

あれほどに用心深い政が、楚の動員兵力を度外視して、五分の一の兵力しかない信をどうして向かわせたのか?秦王政が内心で信を疎ましく思っていて、敗戦を利用して殺そうというのでない限り、楚は二十万の兵力さえあれば、十分に倒せると見積もっていたと考えない限りは辻褄(つじつま)があいません。

 

君主論

 

 



本当は弱かった楚

病気になった兵士

 

実際の楚は、帶甲百萬とは呼べないレベルまで弱まっていた、それを証明する記述は史記四十巻楚世家(そせいか)にあります。それによると紀元前278年、秦の白起(はくき)に王都(えい)を抜かれた楚の頃襄(けいじょうおう)は、東地の兵を収めて十餘萬(じゅうよまん)を得て秦を攻撃し失地回復を図ったとされています。

 

白起(春秋戦国時代)

 

二十三年 襄王乃収東地兵 得十餘萬 復西取秦所拔我江旁十五邑以為郡 距秦

 

郢は回復できないものの、十五の邑を取り返したと書かれているので、それなりに成果を挙げたのでしょうが、頃襄王が得たのは、十万余りの兵力である事に注目すべきでしょう。帶甲百萬と謳われた楚ですが、事実上、その動員兵力は1/10に低下したのではないでしょうか?

 

洛陽城

 

郢が秦に奪われた紀元前278年時から、秦による楚の討伐があった紀元前225年までには、半世紀の(へだ)たりがありますが当時の人口の増加率を考えると秦王政が楚を滅ぼすのには、二十万で充分と踏んだのは、決して楚を軽んじた行動ではないように感じます。

 

秦王政の認識では、精々十余万の兵力しかない楚に対し王翦が六十万を要求したのは、途方もなく臆病な進言であり信の言った二十万が、妥当(だとう)な要求に映った可能性が高いでしょう。

 

三国志夢幻演義 龍の少年

 

 

長江流域の人口は4世紀まで黄河より低い

荒れる黄河

 

キングダムの時代である春秋戦国時代の末期についての人口が分かる史料は存在せず1500万人から3000万人という説があります。しかし、前漢時代の人口推移をみると、まだ淮河(わいが)以北の人口が多く、淮河以南の人口はかなり少ないようです(漢書地理誌)

 

呉起(ごき)

 

呂氏春秋開春論貴卒編(りょししゅんじゅうかいしゅんろんきそつへん)には、呉起(ごき)が「(けい))王に、荊(楚)に有り余るのは土地で足りないのは人民」と言っていますし、史記貨殖(かしょく)列伝では、「楚越の地は地広く人(まれ)」と書かれています。

 

また、春秋戦国時代の楚の遺跡は数が少なく、人口がまばらだったと考えられます。実際、長江流域の文化、戸口数、物力などが黄河流域を越えていくのは、四世紀以降の晋の時代です。

 

人口が少なくても域内交易が盛んなら農耕は低調でも人民は豊かです。しかし兵力の動員数を考えると楚の人口で百万人という動員は難しいという事になります。

 

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信の敗戦は全くの油断

史記_書類_劉邦と始皇帝

 

さて、史記によると、紀元前225年秦軍二十万は安陵という土地まで向かい、そこから兵力を二分、信は十万を率いて平與(へいよ)を攻め蒙恬は(しん)を攻撃しながら進軍し最後は城父というポイントで落ち合う予定でした。

 

突撃する項燕

 

ところが、項燕(こうえん)の軍勢が寿春(じゅしゅん)から三日三晩、不眠不休で信の軍勢を追跡し、完全に油断している所を背後から襲って撃破しました。どうやら蒙恬軍は無傷のようですが、総大将の信の軍勢が大敗を喫した為、挽回のしようがなかったようです。

 

項燕

 

信は快進撃を続けて、偵察を疎かにした所を項燕に衝かれた格好だと思いますが、楚の国力を甘くみていたのは敗因の一つだと考えられます。項燕としては、楚の国力を甘く見た秦王政と信の油断に乗じた勝利であるとも言えるでしょう。それもこれも、楚の兵力動員数が史書が伝えるほどには多くなかった事を裏付けているとは言えないでしょうか?

 

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キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

 

これまでの解釈では、秦王政が若く勢いがあり、戦果を挙げている信を盲信し二十万という過少の兵力での楚討伐を計画して信の油断から失敗し、消極的で慎重な六十万という兵力を要求した王翦に頭を下げて、現役復帰をしてもらったという解釈が多くありました。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

しかし、楚の動員兵力が実際には、二十万に満たないとすれば秦王政も信も、二十万の兵力を楚討伐に妥当と考えたのはかなり自然であり、逆に王翦の六十万は過剰に多い印象にならないでしょうか?

 

もしかして、秦王政は王翦に「こいつ、兵力を六十万得て、途中で反旗を翻すんちゃうか?」と不安になり、あえて信を指名し王翦は王翦で「やばい、秦王、俺が六十万の兵力を私物化するかもと疑いおった」みたいに考えて、速やかに隠居(いんきょ)を決意したのかも知れません。こんな風にkawausoは考えますが、読者の皆さんはどうですか?

 

参考:論説 戦国時代における楚の都市と経済/柿沼陽平/11p~13p・17p/東洋文化経済17号/

春秋戦国の英傑たち 五覇七雄の光芒 (双葉社スーパームック) ムック – 2019/3/23

 


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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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