太平道とはどんな宗教なの?なんで人々に支持されたの?

2019年9月27日


 

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張角は歴史の表舞台に登場

 

太平道(たいへいどう)は後漢(25年~220年)末期に中国で流行した道教の一派です。張角(ちょうかく)がこの教えを発展させて、中平元年(184年)に「黄巾の乱」を起こしました。

ところで太平道とは、どんな教えであり、一体どの階層の人々に支持されていたのでしょうか?

 

今回は黄巾の乱で利用された太平道について紹介します。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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于吉から張角へ

于吉と張角

 

太平道の創始者は張角ではありません。現在確認がとれる太平道の創始者は于吉とされています。于吉は小説『三国志演義』で孫策により殺害されて彼を呪い殺した人物として有名です。史実の于吉は医術・占術に長けた人物でした。このような人物を「方士」と呼びます。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

史料によると于吉は『太平清領書』という不思議な書物を手に入れて、それを民衆に広めたそうです。残念ながら書物が散佚しており、中身にどんなことが記されていたのか分かりません。

 

『太平清領書』は後漢第8代皇帝順帝の時に朝廷に献上されますが、中身を検閲した朝廷の人たちから拒否されます。その後、11代皇帝桓帝の時に再び献上されますが再び良い評価は受けません。

 

その後どういう経緯なのかは不明ですが、張角が『太平清領書』を布教します。于吉と張角はどんな繋がりなのか現在も分かっていません。

 



どんな布教をしていたのか?

疫病が蔓延している村と民人

 

張角は自らを「大賢良師」と自称します。張角は病人に対して今まで行った悪行を告白させて、それから符水を飲ませます。「符水」というのはお札を焼いた灰を水に混ぜたものです。張角はそれを病人に飲ませて治療していました。飲んだ人々の病気は次々と良くなっていきます。

 

病死する張羨

 

現代の通販でこんなものを売りつけていたら、効果ゼロという苦情が視聴者から殺到するでしょう。しかし、この時代は効果が無い時は信仰心が足りないということで済ませていました。張角はこんなやり方で、お布施を集めたりして教団を大きくしました。

 

どんな人々に支持されていたのか?

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

ところで太平道はどんな人々が主流で運営していたのでしょうか?黄巾の乱は農民反乱と言われているので、支持母体は農民と見られがちです。だが黄巾の乱で戦った張角・張宝(ちょうほう
)
張梁(ちょうりょう
)
の3兄弟を筆頭に、波才・彭脱・卜已・張曼成・趙弘・韓忠・孫夏・馬相・馬元義の出身階層は分かっていません。

 

張燕

 

ただし、黄巾軍の主流である彼らが朝廷に敗北した後に、のれん分けのように活動を開始した黒山賊指導者層の張飛(後の張燕)・張牛角・李大目・張白騎たちは本名ではなくあだ名です。

 

黒山賊

 

このことから、黄巾の乱の指導者層は知識階級であり、彼らの壊滅・脱落以降に思想が庶民に浸透していき黒山賊・青洲黄巾軍の時代になり農民反乱の集団になったと言われています。

 

三国志ライター 晃の独り言 児童向けマンガに騙された

三国志ライター 晃

 

以上が張角が教えていた太平道と支持層に関しての解説でした。筆者は小学校4年生の時に『学習漫画 中国の歴史 人物事典』(集英社 1988年)を読みました。

卒業までに筆者は5回借りましたが、筆者以外は誰も借りなかったものでした。それを読んだ時に張角を初めて知りました。

 

太平道の祖・張角(黄巾賊)

 

その中では張角は病人を救済していた善人として描かれており、反乱を起こしたのは苦しむ民を見捨てることが出来なかったからという設定になっていました。当時、小学生だった筆者はその部分を読んだ時に「スゲー人だ。なんでこんな良い人が途中で死んだのだろうか?この人に天下をとって欲しかった」と悔しい思いをしました。

 

中学時代に横山光輝氏の『三国志』、KOEIの『真・三国無双』シリーズ、大学時代に正史『三国志』を勉強してから全く人物像が違っていることが分かりました。

 

「くっそ、だまされた!あのころの純粋な少年の気持ちを返して欲しい!」と恥ずかしい思いがしました。

 

※参考文献

・松崎つね子「黄巾の乱の政治的側面:主として宦官との政治的側面から見て」(『東洋史研究』32-4 1974年)

 

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※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

張角が好き、または子供の時に呼んだ学習漫画と正史『三国志』の乖離を感じた読者の皆様は、コメントをどんどん寄せてください。

 

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黄巾賊

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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