三国志を知っている方なら絶対に一度は聞いた事のある蜀の丞相・諸葛亮。
また三国志を知らない方でも一度は彼の名前を聞いたことがあるかと思います。
そんな諸葛亮ですが、どのようにして亡くなったのでしょうか。
今回は諸葛亮の最後についてお話ししていきたいと思います。
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蜀の丞相の最後
諸葛亮は魏を討伐するため、五回目の北伐作戦を決行。
この時諸葛亮は今まで失敗してきた北伐戦の欠点を改善するため、五丈原に陣取って屯田しながら食料を生産し、長期戦に備えます。
蜀軍を迎撃するため出陣した司馬懿は諸葛亮率いる蜀軍と戦う事をしないで、陣営を固めて防御に専念。
こうして蜀軍と魏軍は互いににらみ合いながら、対陣を続けていくことになります。
そんな蜀の陣営に異変が発生します。諸葛亮が亡くなってしまったのです。享年54歳。蜀軍は諸葛亮が亡くなったため、陣を放棄して撤退していきます。
その後魏軍は蜀軍を追撃しますが、途中で蜀軍が魏軍へ決戦を挑む態勢を示して、追撃を断念し撤退。
どうして孔明は亡くなったの??
上記で諸葛亮の最後の様子を紹介しました。
ですが、諸葛亮はどうして亡くなったのでしょうか。
正史三国志蜀書・諸葛亮伝に記載されている「魏書」によれば、諸葛亮は憂いと怒りのために血を吐いて、撤退している途中で病を発して亡くなったと記載されています。ここから推測すると血を吐くまでは元気であったのに、血を吐いた事が原因で病にかかったと考えられますが、果たして本当なのでしょうか。
吐血を起こした原因について考える
まず諸葛亮が吐血した原因の一つ「怒り」については司馬懿が陣営から出陣してこなかったことが考えられます。ですが、これは諸葛亮もあらかじめ予想していた事であり、そのためにわざわざ陣中で屯田を行っていたはずです。
ですので、諸葛亮が他に何かに怒るような状況が発生したと思いたいですが、蜀の益州や皇帝劉禅の近くで、何かが発生したとは記載されていません。そのため諸葛亮が怒るような原因が突発的に起こったと考えるのは難しいと思います。
二つ目の「憂い」について予測することができます。それは人事の調整についてです。諸葛亮は軍のトップである魏延と事務を担当していた楊儀が対立して、ことあるごとに喧嘩をしている状況に頭を悩ましていたそうです。
この人事調整には彼ら二人の間を取り持っていた費禕が居た為、諸葛亮がそこまで頭を悩ませるような状況になっていなかったと思います。ですが、諸葛亮は蜀の丞相であったため、五丈原で対峙している魏軍との戦い以外にも、外交などにも目を向けなくてはならない為、憂いがあったのかもしれません。
だが、当時呉と蜀の同盟関係に大きな問題はありません。
そのため本当に諸葛亮が「憂い」を抱いていたのか疑問に思ってしまいます。
では諸葛亮の死因はいったい何なの??
正史三国志蜀書・諸葛亮伝の魏書が記載しているように諸葛亮が吐血して亡くなったと考えるのは難しいと思います。ですが、諸葛亮が病を得ていた事は真実だと思います。諸葛亮はいつ頃から病を得ていたのでしょうか。
その証左として諸葛亮の使者が司馬懿の陣営へ使者を派遣した際、司馬懿が諸葛亮の対陣中の生活について尋ねています。司馬懿は諸葛亮の使者へ「諸葛公の仕事は忙しいかい。また食事はいつもどれくらい食べているのかな」と質問。
すると使者は「諸葛亮様は朝早く起きて夜遅くに寝ます。仕事に関しては鞭打ち20以上の罰はすべてご自身で決済して、食事については二~三合ほど召し上がっています。」と回答。司馬懿はフムフムと頷いた後、使者をもてなして帰した後、諸将へ「諸葛亮はもうすぐ死ぬであろう」と予想。
司馬懿の予想は見事的中し、諸葛亮が数日後に亡くなってしまいます。この司馬懿と使者のやり取りに諸葛亮の死因が隠されていると考えられます。
諸葛亮の死因は過労死だと思います。
諸葛亮の唯一の欠点は、何事も全部自分で行わないと済まない性格でした。そのため諸葛亮は鞭打ち20以上の小さい罪や兵糧や金銭管理の出納帳を確認したりと部下に任せればいい仕事まで、全部自分でチェックをしていたそうです。
このように細かい所まで目を向けていた諸葛亮に疲労が蓄積し、五丈原で戦う前から病の兆候があったにもかかわらず、無理を押して北伐してしまった事が、彼の死因だと考えます。あくまでこれはレンの推論であるため、断定的な事は言えませんのでご了承ください。
三国志ライター黒田レンの独り言
正史三国志に記載されている彼の病死の原因では納得できない部分が多くあるので、レンの推測を交えてお話しました。
皆さんは諸葛亮の死因についてどのように思いますか。
■参考文献 岩波新書 諸葛孔明 三国志の英雄たちなど
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