劉備は袁紹に協力する気がサラサラなかった?

2019年10月14日


 

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二刀流の劉備

 

三国志一の人気者・劉備(りゅうび)

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる

 

彼は関羽(かんう)張飛(ちょうひ)と義兄弟の契りを交わしますが、長い間自分の勢力を持つことができず、呂布(りょふ)曹操(そうそう)など多くの群雄達の元を渡り歩いていました。

 

酔いつぶれる劉備玄徳

 

劉備は一時、袁紹(えんしょう)の所に居候していたこともありますが、袁紹から兵士を授けられて戦場へ送り出されるもほとんど活躍することなく、袁紹の元を去ってしまいます。なぜ彼は袁紹に協力しなかったのでしょうか。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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延津の戦いで文醜を見殺しにする劉備

劉備と曹操

 

呂布に奪われた徐州を曹操に取り戻してもらった劉備。彼はその後曹操に反旗を翻しますが、曹操率いる軍勢が徐州へ押し寄せてくるとほとんど戦うことなく、袁紹の元へ逃亡します。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

袁紹は徐州から逃亡してきた劉備を迎え入れます。その後劉備は袁紹が曹操を討伐する為、大軍を南下させた際、一緒に従軍。劉備は袁紹から延津に居る曹操を討伐するため、文醜(ぶんしゅう
)
と一緒に軍勢を率いて出陣します。

 

顔良と文醜

 

この戦いで文醜は曹操軍によって討ち取られてしまいます。ですが劉備は文醜を助けることなく、袁紹の元へ撤退。

 

陶謙

 

劉備は黄巾賊討伐戦や徐州の陶謙(とうけん)が曹操軍によって猛攻を受けた際、陶謙の救援要請を受けて、自ら軍勢を率いて曹操軍と対峙したりなど、歴戦の将軍と言っていいほど戦歴を持った人物です。

 

劉備を警戒する王粲

 

それなのに劉備は文醜を助けることなく、袁紹の元へ撤退しているのは文醜を見殺しにしたとしか思えませんし、袁紹に対して積極的に協力するつもりがなかったと考えられます。劉備が袁紹を積極的に協力するつもりがないのは、他にも事例がありますので紹介したいと思います。

 

黄巾賊を指揮下に収めるが、大した戦果を挙げなかった!?

袁紹

 

袁紹は延津で文醜を失うも、曹操軍を官渡に追い詰めることに成功。袁紹軍の進撃を知った黄巾賊は汝南地方で挙兵し、曹操軍の領土を荒らしつつ、袁紹の味方になることを表明します。

 

袁紹

 

袁紹は汝南地方で暴れまわっている黄巾賊が味方になると、劉備へ「汝南で暴れまわっている黄巾賊を援護してほしい」と要請。劉備は袁紹の要請を受け入れて、袁紹軍の軍勢を率いて、汝南で暴れまわっている黄巾賊に加勢します。

 

水滸伝って何? 書類や本

 

正史三国志によれば、劉備は汝南で暴れている黄巾賊に加勢して暴れまわっていた事が記載されています。ですが曹操から派遣された曹仁率いる軍勢に撃破され、袁紹の元へ逃げかえっています。

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

劉備が黄巾賊へしっかりと目的を与えていれば、曹操軍の領土を奪う事も可能であり、曹操軍を長い間かく乱することもできたでしょう。ですが劉備はここでも袁紹へ積極的に協力する姿勢が見られないように思われます。

 

劉表の元へ逃亡する劉備

劉備

 

袁紹の元へ逃げかえった劉備。その後劉備は袁紹へ「荊州の主である劉表を動かして、曹操軍の背後を襲わせるように説得してきたいのですが、よろしいでしょうか。」と提案しますが、採用しませんでした。

 

劉備 危機一髪

 

袁紹は劉備へ再び軍勢を与えて汝南で暴れ回っている賊徒と合流するように要請。劉備は袁紹の要請を受けて軍勢を率いて、汝南の賊徒と合流しますが、積極的に袁紹の利益になるような行動をしていたような記述は正史三国志にありません。

 

的蘆に乗って逃げる劉備

 

更に劉備は、曹操自ら軍勢を率いて出陣してくるとろくに曹操軍と戦いもしないで、劉表の元へ逃げてしまうのでした。

 

袁紹に協力する気はなかった劉備

曹操と劉備

 

劉備が袁紹に対して協力的な姿勢を見せていない事例をいくつか紹介しました。ここから分かることは劉備が袁紹を頼って逃亡するも、彼に協力する気は一切なかったと言えるでしょう。どうして劉備は袁紹に協力しなかったのか。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

正史三国志蜀書にはこの時の劉備の気持ちを垣間見る記述が記載されています。それは劉備が汝南で暴れまわっている黄巾賊を助けるも曹仁率いる軍勢に敗北して、袁紹の元へ逃げかえってきた時の事です。

 

「劉備は袁紹の元から脱出するために」と記載されています。このことから劉備は熱心に袁紹に対して協力したいと思ってなかった事がうかがえるのではないでしょうか。

 

そして正史三国志に記載されている劉備の気持ちを深く推測すると、劉備は袁紹が曹操に敗北するため、袁紹に積極的に協力したくなかったと推測できるのではないでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は劉備が袁紹に対して協力するつもりが無かった事を紹介しました。

 

陳舜臣さんが書いた秘本三国志によれば、この時の劉備は曹操と同盟を結んでおり、曹操へ袁紹軍の内情を提供するために袁紹を頼ったとしております。この秘本三国志はレンも蔵書しており、斬新で新しい三国志の世界を読者の方々へ見せてくれるので、気になる方は是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

■参考文献 正史三国志蜀書など

 

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