文醜とはどんな人?具体的逸話は演義にしかない豪傑

2020年12月4日


 

 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

文醜

 

文醜(ぶんしゅう)とは、曹操(そうそう)官渡(かんと)の戦いで激戦して敗れた群雄、袁紹(えんしょう)に仕えた猛将で、単体での活躍というよりは、もう1人の猛将の顔良(がんりょう)と二枚看板として登場します。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

しかし、猛将と呼ばれる割に、あまり活躍する事無く、顔良ともども関羽(かんう)に斬られて死んでしまうのです。今回は三国志演義を盛り上げる、かませ犬文醜を分かりやすく解説しましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



文醜は醜いの?

 

文醜には(みにく)いという漢字が入りますが、容姿が醜いという記述は正史三国志にはありません。一方で、三国志演義では、身長8尺で獬豸(かいち)のような顔とされます。カイチは麒麟のような顔だそうで容貌魁偉(ようぼうかいい)ではありますが、不細工とは違うでしょう。

 

伝説の聖獣・麒麟

 

ただ、相方の顔良の字面(じづら)との兼ね合いで、ゲーム等では強いけど、むさくるしい醜男として描かれる事も多いですね。

 

関連記事:曹操は容姿が貧相だったって本当?正史から読み解くよ

関連記事:天水の麒麟児・姜維と、麒麟児と呼ばれた者たちの命運

 

 

 



顔良との関係

文醜と顔良

 

顔良と文醜は、正史三国志においては、袁紹軍の二枚看板というだけで、血縁関係などの説明はありません。しかし、三国志演義では、どちらも関羽に斬られる事から、兄弟同然の親友という設定になっています。

 

顔良と文醜

 

ちなみに三国志演義での文醜は、関羽に斬られていますが、正史では誰に斬られたか明記されないまま、混戦の中で死ぬといういささか情けない最期を迎えます。

 

関連記事:関羽の武力ばかりに目が行くが、他能力はどうだったの?関羽の能力を考察

関連記事:関羽は武神に相応しいの?「正史三国志」の実績を考察

 

一騎打ち

 

正史三国志での文醜

漢の顔良(がんりょう)

 

正史三国志での文醜は、孔融(こうゆう)が袁紹軍の二枚看板として曹操に戦いを(いさ)めるほどの豪傑です。

 

官渡の戦い 騎馬兵

 

西暦200年の官渡の戦いの前哨戦、白馬の戦いで、二枚看板の1人顔良が関羽に討たれた後、曹操が白馬から引き揚げて黄河に沿って西へ移動したために、袁紹はそれを追い黄河を渡り南岸の延津に到達しました。

 

袁紹

 

ここで、袁紹は文醜に客将の劉備(りゅうび)と共に曹操を追撃させます。曹操は、追撃してきた文醜と劉備に対し、軍師、荀攸(じゅんゆう
)
の進言に従い、猪突猛進の文醜の性格を利用して、わざと補給部隊を文醜の前に(おとり)として出しました。

 

文醜は、見事に引っ掛かり自分だけ曹操軍に突進したので曹操軍に包囲され、混戦の中で討ち取られました。ちなみにこの時、劉備は囮に気づいて引き上げています。

 

荀彧

 

孔融(こうゆう)は脅威とみなした文醜ですが、曹操の部下である荀彧(じゅんいく)は、

「所詮は武力一辺倒のイノシシ武者であり、わずか1戦すれば生け捕れます」と答え、その通りになりました。

 

関連記事:荀彧のここが「イケメン」すぎる3選!本当に荀彧はイケメンだった?

関連記事:荀彧の手紙が官渡の戦いの勝利の決め手だった!?

 

三国志演義での文醜

 

三国志演義の文醜は、豪傑エピソードが足されています。最初の出番は、界橋(かいきょう)の戦いで敵のボスの公孫瓚を追い回すカッコイイ役で登場しました。しかし、公孫瓚を討つ事はできず途中で袁紹を見限り、公孫瓚についた趙雲に追撃を阻止されます。

 

五虎大将軍の趙雲

 

次に史実通りに白馬の戦い(はくばのたたかい
)
で相方の顔良が関羽に討ち取られると、仇を討つために劉備と出陣、荀攸の計略にハマって補給部隊を深追いして曹操軍の只中に取り残されました。

 

徐晃

 

ただ、ここからの文醜の奮戦は華々しく、追撃してきた張遼(ちょうりょう)を弓で射落とし、さらにとびかかってきた徐晃(じょこう)をも退けます。

 

顔良を討ち取る関羽

 

しかし、三番目にやってきた関羽との打ち合いでは、すぐに分が悪くなり逃亡。逃げる途中に関羽(かんう)の一撃を背中に受けて死亡しました。

 

関連記事:袁紹は実は名将だった!?死闘「界橋の戦い」の巻

関連記事:みじめな最期を遂げた公孫瓚が袁紹に勝利するためのシナリオとは?

 

【次のページに続きます】
 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-はじめての漢
-