法正の功績ってどれくらい?性格に非常に難あり、法正の功績を考えてみる

2019年11月7日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

法正

 

法正(ほうせい)をご存知でしょうか。三国志ファンならご存知ですね、はい、非常に性格に難があるにも関わらず劉備(りゅうび)に厚遇された人物です。今回注目するのはその法正……の、功績がどれくらいだったのか?についてです。

 

法正が亡くなり悲しむ劉備

 

劉備から直接諡を送られた唯一の人物、法正。

彼の功績は一体どれくらいだったのか、どれほど大きかったのか見ていきたいと思います。

 

自称・皇帝
当記事は、
「法正 功績」
などのワードで検索する人にもオススメ♪

 

関連記事:【定軍山の戦い】法正たちが大活躍!夏侯淵っていつのまに死んじゃった?

関連記事:法正が存命していたら陸遜は夷陵戦で敗北していた?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



法正は処罰もできないほどの功績の高さ

法正

 

何度でも繰り返しますが法正の個人の能力は非凡、しかしその性格の悪さも類を見ないほどと言われています。その性格の悪さが分かるのが益州奪取の後に行われた私情丸出しの処刑です。過去に恨みがあった人物を法正は次々に処刑していきました。

 

法正

 

法律に照らし合わせた訳ではありません、完全なる私刑です。余りにも酷いと諸葛亮(しょかつりょう)に訴えが来ましたが、諸葛亮は「法正の功績を考えればそれはできない」と語ったと言います。このことから法正の功績が非常に高いことが分かりますが、しかしその一方で法正の功績はどの程度であったのか?という疑問も沸きますね。

 

ではそんな法正の功績について、色々と考察していきましょう。

 



益州取りの功績点

法正

 

法正の最大の功績点と言えば、やはり益州奪取の功績点でしょう。法正は張松(ちょうしょう
)
らと共に劉備(りゅうび)を益州に招き入れて、新しい君主として迎えました。

 

法正と張松

 

そこに至るまでに長い戦いがあったとしても、結果的に劉備は益州という天下に名乗りを挙げられる土地を手に入れました。放浪期間の長かった劉備として、そして劉備軍としても非常に嬉しかったでしょう。やはりこの功績は大きなものです。

 

そして法正の功績が大きくなった理由にも、この益州取りが関わって来ていると思うのです。

 

張松の存在の影響……

法正、劉璋、劉備

 

というのも、益州を劉備に渡してしまおうと考えたのは法正ではありません。

 

法正と孟達

 

張松(ちょうしょう
)
がまず劉備を招き入れようと考え、友人だった法正はそれに乗ったのです。孟達も含めて三人は劉備を招き入れる策を考えますが、この計画は露見してしまいます。

 

張松

 

密告されて張松は斬首。この際に法正は難を逃れ、劉備の元に身を寄せて助かりました。

 

曹操にキレて劉備を贔屓する張松

 

ここで張松が斬首され、法正が生き残ったことが法正の功績に影響しているのでは?と考えました。益州奪取の功績は張松にもある、しかし張松はもういない、だから功績は法正に大きく傾いた……という考察です。

 

運が良かったのかどうなのか、張松の死が法正の功績に影響した部分はあると思います。

 

劉備個人からの功績の高さ

法正と劉備

 

また、大きいのが劉備本人からの評価です。劉備は不思議なほど法正の言うことは聞き入れ、法正を非常に重用しました。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

夷陵の戦いで法正さえ生きていれば劉備を止められた……そう諸葛亮が後年に嘆くほど、劉備を止められる存在として法正の存在は大きかったのです。

 

張飛、劉備、関羽の桃園三兄弟

 

法正の死後にも劉備は諡を送りました。これは関羽(かんう)張飛(ちょうひ)でさえ受けていない、法正だけの特別な扱いです。功績があったから劉備に重用されたのか、劉備に重用されたから功績が高いと判断されたのか、それは分かりません。

 

法正

 

しかしやはり法正の功績は劉備の影響も高いと思います。なので法正の功績を語るとなると、劉備の影響は欠かせない要因であると思いました。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は諸葛亮が処罰できないとまで言い切った法正の功績について、考察してみました。

 

劉備にアドバイスをする法正

 

もちろん諸葛亮は法正の功績の他に能力や劉備についても言っているので、ただ功績のみとは言い切れないでしょう。しかしそれを差し引いてもやはり法正の功績は、当時の劉備たちにとって、そして劉備個人にとって大きかったのではないでしょうか。

 

法正

 

法正は短命に終わりましたが、もし長生きしていたらどれほどの功績を更に上乗せしてきたか……そう考えると、より三国志の面白さが深まると思います。

皆さんも法正のみならず、色んな武将たちの国への貢献について注目してみて下さいね。

 

参考文献:蜀書龐統法正伝

 

関連記事:法正の病死直前までの働きぶりがブラックすぎる件を考察

関連記事:伊籍とはどんな人?劉備に忠誠を尽くし法正と蜀の法律を作った法律家

 

法正

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
はじめての三国志 プロフィール画像

はじめての三国志

「ゆるく、たのしく、わかりやすく」をコンセプトにした 歴史エンタメメディアです。
(®登録商標:第5800679号)

-三国志の雑学
-