日常生活

はじめての三国志

menu

はじめての蜀

張松(ちょうしょう)の裏切りがなければ劉備の蜀制圧は不可能だった?

この記事の所要時間: 311




孫権 劉備 対立

 

西暦210年当時、荊州の南郡に本拠地を置いていた劉備(りゅうび)は八方塞がりの状況でした。

荊州の北、襄陽や樊城は曹操に押さえられていて、

拠点としている荊州の南も孫権(そんけん)から借りている状態です。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら




益州(蜀)攻めの道

祁山、街亭01

 

領土を広げるには西の益州への道しかありませんでしたが、

益州は長江の上流に位置し、周囲を高い山脈に囲まれた天然の要塞です。

水軍があれば長江を遡って巴郡から攻め込むことができますが、

当時の劉備軍にはそこまでの備えはありません。

山岳地帯での戦いにも不慣れで、強行に攻め込めば長期間の苦戦を強いられることになり、

その隙に本拠地を曹操や孫権に奪われることは明白でした。

 

孔明

 

天下三分の計を提案した諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)ですら手の打ちようがなかったのです。

つまり「絵に描いた餅」状態でした。

このとき益州制覇に一番近かったのは呉の孫権(そんけん)です。

最強の水軍を有していたからです。

しかし益州攻略を目指し長江を遡っていた周瑜(しゅうゆ)が病死し、計画は頓挫します。




益州という要塞

祁山、街亭02

 

益州は広大な領土です。

日本の面積の約1.5倍といわれています。

さらに、敵を防ぐことを考えると最強とも呼べる天然要塞となっています。

日中戦争時には蒋介石がこの地で戦い抜きました。

歴史上、独立勢力がここで多数誕生しています。

後漢末期に益州の牧になった皇族出身の劉焉も同様の野望を秘めて益州に来ました。

黄巾の乱や董卓の暴政により中原から多くの流民が益州に押し寄せると、

これ幸いと、劉焉は彼らを「東州兵」と名付けて兵役につかせ、軍備を拡大したのです。

劉焉の跡を継いだのがその息子である劉璋でした。

暗愚な人物として家臣にも見限られていますが、

侵攻してくる敵勢力を食い止めるだけの兵力と領土は有していたのです。

 

関連記事:二つの中国はどうして出来た? 台湾問題を三国志で分かりやすく解説するよ

関連記事:毛沢東(もうたくとう)とはどんな人?中国の赤い星の生涯

 

張松の離反

劉備と張松

 

劉璋の誤算は配下に見限られていることに気が付かず、

敵となる劉備を領内に入れてしまったことです。

劉備を先導していたのが劉璋の配下、

別駕を務めていた張松であり、その息のかかった法正や孟達でした。

張松はどうしても劉備に益州を治めてほしかったようで、

益州の人口や兵力の配置図などの詳しく書かれた地図を劉備に献上しています。

張松は風采が貧相で、あの人材登用の天才である曹操をしても相手にしなかったような外見でした。

張松の才に気が付いた曹操配下の楊脩の進言にも耳を傾けませんでした。

 

曹操と張松

 

どうやら益州での扱いも同じような不平等なものだったようで、

張松には日ごろの不平不満が溜まっていました。

曹操に益州を治められても同じような扱いを受けるだろうと予想した張松は、

ぞんざいな態度を見せて曹操に追い払われます。

そして帰り道で劉備のもとを訪れることになるのです。

 

関連記事:曹操の塩対応に張松ブチ切れ!曹操が冷たく扱ったのは傲慢ではなく驚くべき理由が隠されていた!

 

類が友を呼ぶ

龐統 ゆるキャラ 三国志

 

使者・張松の相手をしたのが劉備の配下にいた龐統(ほうとう)でした。

諸葛亮孔明と並んで「鳳雛」と呼ばれるほどの知恵者でしたが、

張松同様に見ばえが悪く態度も横柄なために扱いは低く、従事という軽職に甘んじていました。

同じような境遇のふたりは意気投合し、益州乗っ取り作戦を企てます。

これまで振るわなかった人生の大逆転劇をふたりで夢見たのかもしれません。

仁義に劣る作戦はすべて劉備に拒否されるものの、

最終的にはふたりの思惑通りに劉備は益州を征服することになります。

 

龐統と的盧

 

しかし龐統はこの軍事作戦中に戦死しています。

劉備はその死を嘆きましたが、諡号はその死の約50年後に劉禅より贈られています。

また、張松はそれより先に内応が劉璋にばれて処刑されました。

ふたりは共に劉備の益州征服を見ることなくこの世を去るのです。

軍事作戦の後を継いだのは諸葛亮孔明と法正のふたりでした。

 

関連記事:蜀のブサメン軍師、龐統は魯粛のスパイだった?劉備と龐統、仮面主従の真実

関連記事:知らないと貴方も騙される!龐統の心の誘導テクニックが使えるのでこっそり教えちゃいます!

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

ろひもと理穂

 

張松なくして劉備の益州攻略は始まっていなかったことでしょう。

張松は益州攻略のきっかけとして重要なカギを握っています。

仮に張松と法正(ほうせい)が敵対関係だったとしても

主君に重用されていなかった法正は出る幕がなかったのではないでしょうか。

そして劉備は多大な犠牲を払いながらも益州を征服できたはずです。

もちろん、「軍師連盟」の主役・司馬懿(しばい)に匹敵するような

知略に優れた法正も内応に応じてくれたお陰で、

劉備は大きな犠牲を払うことなく益州を攻略することができました。

その点だけを考えると法正の存在も大きいものがあります。

しかし諸葛亮孔明からすれば、

八方塞がりだった益州攻略のきっかけを与えてくれた

張松(ちょうしょう)の存在こそが最も価値のあるものだったと思います。

そう考えると、張松(ちょうしょう)の離反は、

三国志のなかでの裏切りとしては最も大きな事件だったのかもしれません。

 

はじめての三国志:全記事一覧はこちら

関連記事:【軍師連盟】司馬懿は電光石火の行軍が得意だった?

関連記事:【軍師連盟】司馬懿が起こしたクーデターは博打だったの?

 

—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—

 




 

ろひもと理穂

ろひもと理穂

投稿者の記事一覧

三国志は北方謙三先生の作品が一番好きです。

自分でも袁術主役で小説を執筆しています。ぜひこちらも気軽に読んでください!

好きな歴史人物:

曹操、蒲生氏郷

何か一言:

袁術は凄いひとだったかもしれませんよー!!

関連記事

  1. 法正(ほうせい)ってどんな人?蜀を支えた天才軍師
  2. 龐統(ほうとう)ってどんな人?|孔明とは頭脳以外全て正反対
  3. 蜀漢の外戚・呉懿(ごい)は有能なのに地味で実は孔明に敬遠されてい…
  4. 献帝死亡説を利用した?劉備が漢中王に即位したのは孔明と法正の入れ…
  5. 2分で分かる合肥の戦い その1 はじまりの裏側
  6. 黄忠(こうちゅう)ってどんな人?華々しさとは真逆、家族に恵まれな…
  7. 賈詡は一流の政治家でもあった!?降伏の進言をして名軍師と呼ばれた…
  8. 【蜀の建国~滅亡まで】蜀の国を背負って戦い続けた丞相【孔明編】

google検索フォーム

過去記事を検索できます

ピックアップ記事

おすすめ記事

  1. 後漢の始祖・光武帝劉秀(りゅうしゅう)ってどんな人?苦難に耐えて皇帝になる Part.2
  2. 1800年前に呂布がビーフバーガーを食べていた?気になる漢時代の食生活
  3. 【歴史を変えた名言】この名言によって歴史は変わった「断じて行えば鬼神もこれを避く」
  4. はじさんが劉備を丸裸に!素顔は?身長は?劉備を徹底追及!
  5. 袁術は実はベトナムに逃げ延びていた!?【歴史ミステリー】
  6. 小野小町(おののこまち)はどんな人?世界三代美女は謎だらけ

三國志雑学

ピックアップ記事

おすすめ記事

はじめての三国志 X 大戦乱!!三国志バトル 黄月英(黄夫人)ってどんな女性だったの?孔明の妻を紹介 【はじめての孫子】第5回:戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり 【能力高すぎワロタ】仕事のできる蜀の三代目トップ費禕(ひい)エピソードも紹介! 孔明の北伐の目標はどこだったの? 孫権の妻たちは意外と知られてない? キングダムに乗り遅れた人必見!!戦国時代をざっくりと紹介しちゃいます! 【諸葛亮の心に残る名言】強弩の末、勢い魯縞をも穿つあたわず

おすすめ記事

  1. 【シミルボン】三国志を産みだしたのは魯粛だった!クレイジーと言われた豪傑の人生
  2. 何晏(かあん)とはどんな人?三国志一のナルシストで歴史に名を残した男
  3. 【今さら聞けない】妖怪三国志ってなに?お父さんも子供も夢中の新世代三国志!
  4. 遅れてきた呉の英雄・孫権の才能とは?
  5. 藺相如(りんしょうじょ)とはどんな人?三大天の一人!趙の名宰相であり廉頗のかけがえのない親友(3/3)
  6. 趙雲の妻、孫夫人がお茶目すぎる!ほんのいたずらが夫を殺す羽目に!
  7. 譙周(しょうしゅう)とはどんな人?劉禅に降伏するのが得策であると説いた政治家
  8. 沢山の人材を発掘した呉の孫権

はじさん企画

袁術祭り
特別企画
異民族
諸子百家
春秋戦国時代
日常生活
はじめての三国志TV
PAGE TOP