諸葛亮、木牛を作って兵站確保するも、虚偽申告発覚で北伐失敗を考察

2019年11月11日


 

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北伐する孔明

 

蜀(221年~263年)の建興9年(231年)に諸葛亮(しょかつりょう)(220年~265年)に対して北伐を起こしました。4度目の北伐でした。

 

考える諸葛亮孔明

 

以前から兵站(へいたん
)
(後方支援)が上手く行かずにすぐに撤退となっていました。だが、今回の諸葛亮は考えて出兵をしました。どこを考えたのでしょうか?

そこで今回は諸葛亮の第4次北伐について解説します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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続かない兵糧

馬謖の失敗に嘆く孔明

 

諸葛亮は建興6年(228年)から魏の北伐を開始していました。1回目は街亭で馬謖が敗走したことで失敗、2回目は陳倉城の攻撃に手間取ってしまい撤退、3回目は長雨で動けなくなったので帰国になりました。

 

兵糧を運ぶ兵士

 

撤退理由の1つは敗北もありますが、最大の理由は兵站(後方支援)が全く続かないことでした。兵糧が続かなかったら、いくら勝利しても負けたことに変わりなしです。筆者もシュミレーションゲームの「三国志」や「信長の野望」をプレイした時に、手痛いほど味わいました。

 

木牛の発明

木牛流馬

 

建興9年(231年)に諸葛亮は再び出兵します。ところが今度は、兵糧が続くように今までとは違うものを用意しました。それは「木牛」です。木牛というのは陳寿が執筆した正史『三国志』や『諸葛亮集』には登場するのですけど具体的な構造は現在も分かっていません。

 

「宋」の国旗をバックとした兵士

 

北宋(960年~1127年)の高承は「手押し車のようなものじゃないですか?」と推測しています。蜀の桟道は険しいので、人が物をかついで渡るのは厳しかったし非常に手間のかかる作業です。木牛があれば蜀から最前線まで時間短縮で運べます。

 

木牛流馬を使用する蜀兵士

 

諸葛亮も兵士たちも、ほっとしていたでしょう。

 

またもや兵糧不足

孔明 vs 司馬懿

 

諸葛亮はこの第4次北伐で初めて司馬懿と戦います。小説『三国志演義』では最初から司馬懿(しばい)と諸葛亮は戦っていますが、正史で2人が戦ったのはこれが初めてです。

 

孔明と司馬懿

 

蜀と魏は前哨戦の後に、お互いに主力戦を行いました。結果は蜀の大勝利に終わります。イケイケムードの蜀でしたが、ここでとんでもないアクシデントが発生。

 

孔明 悲しい表情

 

蜀で兵糧を担当している李厳(りげん
)
から「後方で兵糧が不足しているので、引きあげてください」と詔勅が届きます。諸葛亮たちは水を差された気分でしたが、兵糧が足りないし詔勅ならば仕方ありません。

 

手柄を立てる張コウ

 

司馬懿は蜀が急に帰国するので変だと思って張郃(ちょうこう)に追撃させますが、待ち伏せていた蜀の伏兵により張郃は討たれてしまいます。こうして追撃で被害が出ることもなく蜀の第4次北伐は終了しました。

 

李厳の虚偽申告

やらかす諸葛亮孔明

 

ところが諸葛亮が帰国すると李厳から、「兵糧は足りているのに、丞相(諸葛亮)はなんで帰国されたのですか?」と怪訝な表情をされます。諸葛亮からすれば狸か狐に化かされた気持ちです。

 

棗祇(そうし)食料・兵糧担当

 

種を明かすと李厳は兵糧手配の仕事が上手くいかなかったので、ミスを諸葛亮の責任にしようと企んだのでした。李厳に対して不信感を抱いた諸葛亮は調査を開始。その結果、彼の虚偽申告が発覚。それどころか、劉禅にも虚偽報告をしていたことも分かりました。

 

劉備の臨終に立ち会う孔明

 

虚偽申告に詔勅の偽装。普通ならば死罪ですけど李厳は劉備が死ぬ間際に諸葛亮と一緒に後を託された人物。勝手に死罪には出来ません。仕方なく庶民に落とすことで済ませました。だが、諸葛亮はこの一件で木牛だけでは兵站が続かないと悟ることになります。

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が諸葛亮の第4次北伐と李厳の失脚に関しての解説でした。諸葛亮はこの件以降、北伐を中止。その後、建興12年(234年)に最後の北伐を行った時には戦場を開墾して兵糧をすぐに確保出来るようにしました。これで兵糧問題の解決に成功しました。

 

ところで李厳なのですが、この人は庶民に落とされても諸葛亮がまた自分を登用してくれると思って待っていたようです。現代に学ぶべきプラス思考かもしれません。さすがに諸葛亮が死んだと知ったら、ショックで寝込んで亡くなったようですけど。

 

死なずに生きて再雇用されたら面白かったかもしれません(笑)

 

※参考文献

・立間祥介『諸葛孔明―三国志の英雄たちー』(岩波新書 1990年)

・渡邉義浩『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社選書メチエ 2012年)

 

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諸葛亮が好き、または自分は李厳が大好きであるという人はコメントをどんどん送ってください。

 

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北伐の真実に迫る

北伐

 

 

 

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