大人気春秋戦国時代漫画キングダム、現在は人を救ってやるという上から目線で殺戮を繰り返しているバーサーカー龐煖と信が激突しています。当初の予想に反し龐煖は決してバカではなく、争いばかりを繰り返している人を救済しようと一カ所に集まった賢者、求道者の一人だったようです。
つまりは、難しい書物も読めるし字も書ける知識人に近い人だった事になります。とはいえ、そうだとすればどうして対話が出来ない状態なのかという疑問が残りますが、どうもそれは史実の龐煖が信奉した道家思想に関係があるようです。
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この記事の目次
道家とは
では、道家とは具体的には何なのでしょう?精選版 日本国語大辞典の解説では
〘名〙
① 中国、戦国時代に興った諸子百家の一つ。老子、列子、荘子など、無為自然を信条とする一派の称。宇宙間に存する理法を道と名づけ、
人もそれにならって無為自然を旨とすることにより、結果としての大成を期待できるとし、あるいは心の安らぎを得るとする。
儒家とともに後世まで伝えられて、中国・日本の思想・文学・芸術その他あらゆる分野に大きな影響を与えた。
このように書いてあり、宇宙の真理である理法を道と名付け、人もそれにならって無為自然を旨とする事で結果として大成する、或いは心の平穏を得る事を目的とした教えであると読めます。これだけ読むと、脱力感一杯ですが一方で、金丹や養生のような不老長生法を通じて人智を超えた仙人の存在を目指すというスーパーポジティブな考え方もあるようです。
どちらかと言うと、漫画の龐煖は武を極めて人間を突き抜けて神に近づこうというので、不老長生に近い考えなんでしょう。
どうして龐煖はワカランチーノなのか?
龐煖というと、キングダムの他のキャラクターと比較しても圧倒的に話が通じないキャラクターだと言えると思います。喋っている事は禅問答のようですし、話しかけようものなら「黙れ愚民ども!」というような威圧感で押し切ります。
kawausoは、これを深い山に籠っているが故の、深刻なコミュ障なのではないかと考えていましたが、どうやらそうではないようです。というのも道教では、道を学ぶことはできるが教える事はできないとされているからです。言葉で説明できる道は真の道ではないとされ、道士の書物や言葉は、ただ道についての矢印を示すものでしかないようで、真の「恒常不変の道」は、各自が自分で見出さないといけないようです。
なんか剣の道みたいですね。
李牧や信への対応
この道については学ぶ事も教えてもらう事も出来ないというのは、龐煖の態度に顕著です。
龐煖は誰にも道について言葉で解答を得ようとはしていません。李牧は龐煖にとってのメンターであり、ただ、龐煖の道を指し示すだけの存在です。
それは李牧自身が語っている通りであり、答えを持っているのは信であると言っています。逆に、信はというと、龐煖に対して道とは何か?について語る知力を持っているとは思えません。ただ、それを龐煖は期待もしていないし、望んでもいないでしょう。
何故ならば、真の道は学ぶ事も教えてもらう事も出来ず「恒常不変の道」とは、各自が自分で見出すしかないというのが道家の思想だからです。そうなると龐煖にとって道とは、強者と命を削る戦いをしている途中や、相手を撃ち殺した経験から導き出される事とも言えるのかも知れません。
そもそも、その手法に善悪も規定されているわけでもないので、外から見て殺戮に見えようと、善行に見えようと、結果として悟る事が出来ればいいのでしょう。
史実の龐煖も戦争嫌い
キングダムの龐煖は、王騎と戦っている最中に、王騎が魏加に狙撃されて矛の一撃が鈍り勝敗の決着にケチがついた事に対し、「これだから戦争はつまらんのだ」と吐き捨てています。もっとも同時に、貴様の土俵で戦った結果だとも言い、因果応報を強調していましたが、ここには龐煖の戦争嫌いが映しだされていました。
この設定は何年も経過してから龐煖はただのバーサーカーではなく、人の世から争いを無くす為に武神になったという伏線になったのですが、史実の龐煖も趙の武霊王の問いに対して、巧みな者は戦争に与しないことを貴ぶので、『計謀』を大いに上策として用いるのでございます。と説いていて無益な戦いを回避すべきだとしています。この辺りは、キングダムの龐煖も取り入れている点なのかも知れません。
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