2020年の1月13日は成人の日です。日本においては、明治時代から長らく20歳を成人として来ましたが、民法改正により、2022年4月1日付で、成人年齢は18歳に引き下げられます。ただ現時点では改正前なので、成人式は、もうしばらく20歳の成人式が続きます。しかし、成人と言っても、世界の国々が全て20歳を成人と決めているわけではなく、アルゼンチンやエジプト、シンガポールは21歳、ドイツ、フランス、イギリスは18歳、キルギスタンやネパールは16歳と国によってもバラつきがあります。そもそも、成人って歴史的にどんな風に定まり、またどんな風に変化したのでしょうか?第一回は古代中国における成人について考えます。
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古代中国でも成人は二十歳だった
日本の成人式の年齢が20歳であるように古代中国でも成人式にあたる冠礼は20歳の男子に対して行われました。古代中国のマナーブックである礼記・内則にも二十而冠 始学礼と書かれているように、男子は20歳になると男子の象徴である冠をつけました。
ただ古代中国は、現代日本と違い数え年なので、実質は18歳で成人になっていました。
現代日本でも、成人すると飲酒や喫煙が自由になり、結婚も親の同意が要らなくなるなど、未成年の時にはない権利が与えられますが、それは、古代中国でも同じでした。以後は、冠礼を済ませる事によって与えられた古代中国の成人の権利を解説します。
成人になると結婚が認められる
男子が成人すると何が権利として認められるのか?それは、妻を迎えてウヒョを行う権利、つまり結婚の権利でした。礼記・内則にも、娶必先冠 以夫婦之道 王教之本 不可以童子之道治之 このように明確に記されていて、結婚したいなら成人する事、これが夫婦の道であり聖賢が教える王道で、これは子供には知る事は出来ないと言っています。
もちろん、結婚するまでウヒョ禁止という事はなく、歴史上は18歳以前に子供を儲けたようなケースは一杯あるのですが、それは内縁関係であり、大っぴらに承認されるのは加冠される(冠を加える)のを待たないといけないのです。
徳行を積む事が要求される
冠礼を迎えると、男子はそれまでの児童の時期を過ぎ、君子としての徳行を積む事が求められました。それは、冠礼の儀式を行う上で読み上げられた礼の言葉からも分かります。
あな目出度し、この吉日に祝いの時を迎える、今汝に冠を加え君子とせん、これからは幼き心を棄てて、徳のある行いを為すように、さすれば長寿する事が出来、また多くの福が汝に授けられるであろう
このような訓戒の言葉が少しずつ内容を変えつつ、3回繰り返されて、忠、孝、悌という3つの基本的な徳についての説明と共に、外見だけではなく、精神の成長にも努力するように命じられます。当時、大人とは礼を守るものであり、礼を守れない人間は犬に食われて死んでしまえというような強烈な言葉も残されています。
成人と共に、これまでは大目に見られていた礼に外れた子供っぽい振る舞いも許されないようになっていくのです。
家を継ぐのも二十歳になってから
冠礼には、その家を継ぐ嫡出子に対して財産を相続する意味合いもありました。古代中国では、冠礼の後に初めて家族を承継し宗廟の主祭者の権利を得る事が出来たのです。
また、家に嫡出子と非嫡出子があった場合にも、冠礼に明確な差があり、嫡出子は阼階と呼ばれる家の主人のいる位置で加冠を行い、次の主である事を示しますが、非嫡出子は阼階での加冠が許されず、家の外で行われたそうです。
この嫡出と非嫡出を分けるというのも、主流と傍流を厳格に分ける中国的な宗族制の特徴と言えますね。
漫画キングダムでも秦王政が成人式
冠礼は、政治権力の継承にも影響を与えています。古代の天子は加冠して成人になるまでは政治を執り行う事が出来ませんでした。漫画キングダムでも秦王政は、秦王政九年(紀元前239年)に22歳で加冠の儀を執り行い、それまで呂不韋と生母の太后に握られていた政治の実権を取り戻します。これを契機にして、尚も権力を独占していたい呂不韋と太后と秦王政の間で、毐国の乱という政変が起き、結果、政が勝利して権力基盤を固めるドラマチックな展開がありますが、これは漫画キングダムを読んで確認してください。
天子であっても、冠礼を経なければ国政を執る事が出来ない。ここに冠礼の重要な部分があると言えます。
あの曹操も二十歳で洛陽北部尉に任官
また、天子ばかりではなく、士大夫も冠礼を終えないと正式な役人になる事が許されませんでした。三国志の英雄曹操は、二十歳を迎えた時に孝廉に挙げられて郎となり、洛陽北部都尉になってキャリアをスタートさせています。曹操は大金持ちの曹嵩の息子でしたが、そうであっても、冠礼を終えて成人と認められないと任官できなかったのです。
逆に、孫権は十五歳になった時に、孫策によって陽羨県長に任命されたとあります。これは冠礼を経ていないのですが、別に構わないのです。すでに後漢王朝は全土を支配する力を失っており、孫策の任官も勝手に行った事後承認であったと考えられます。
しかし、その後、孫策は急死し孫権は慌ただしく後を継いでいますが、冠礼をやったかどうか書かれていません。ただ、孫権が孫策の喪に服してビービー泣いているのを長史の張昭が叱責してうんぬんの故事が見えるので、張昭を烏帽子親のようにして、加冠をしたのかも知れません。
kawausoの独り言
古代中国の成人式は冠礼と言い、頭に冠を被せて大人の仲間入りをする儀式で、冠礼を済ませないと正式に結婚する事も仕官する事も、家を相続する事も許されないという、極めて重要な大人へのステップでした。ただし、加冠によって権利だけが与えられるのではなく、大人として儒教の徳目である、忠、孝、悌を修める事を命じられ、人格の陶冶も命じられるなど、ゆくゆくは家を背負う人間としての重圧を加えられる厳粛な儀式でもありました。こうして考えると、全てが同じではないにしても、冠礼には現代日本の成人式に近い点もありますね。
参考文献:正史三国志 キングダムコミックス
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