2020年のNHK大河ドラマは、明智光秀が主人公の麒麟がくるです。そんな光秀、初回から鎧兜に身を固めて奮戦しているのですが、戦国時代の中頃は、まだまだ合戦に参加する人々は足軽から騎馬武者まで自前で武器も防具も用意していました。では、当時の合戦に参加するには現在の貨幣価値でいくらかかったのでしょうか?
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戦国時代の騎馬武者の装備はいくら?
では、最初に光秀のような完全フル装備の武士について費用を考えてみましょう。まず、体を守る具足ですが、これは、戦国時代の島津氏が規定していた田一丁につき具足一領という所から考えてみます。当時の田圃の収穫量は、地域によって違うのですが、おおよそ一反について、50から100束の間、古代の禄物価法により間を取って、一反から72束とすると、一町からは720束が獲れる計算になります。
次に、稲一束から二升の米が獲れると考えると、一町の田圃からとれるのは1440升、一升の米は現在の価格だと800円位なので、800×1440=1,152,000つまり、鎧一領の値段は115万円という事になります。すごいですね、軽自動車なら即金で買えるくらいの値段です。
次に鉄砲、これは戦国時代の後期なら、相手も装備している可能性が高いので持っておきたい武器です。こちらも島津氏の規定があり、五反につき一挺と規定しています。五反は一町の半分ですから、鉄砲は60万円くらいになります。鎧の半値ですが、すぐに出せるような金額ではないですね、ハイ。
刀や槍や馬の値段はどの程度?
次に護身武器にもなる刀ですが、これは価格によりピンキリ、名刀だと一振りで三十貫文150万円と鎧よりも高価です。一方で中国に輸出していた包丁より切れないなまくら刀が一振りで二、三百文で15000円とリーズナブルでした。しかし、このなまくら刀、鎧の上を打つと折れ曲がると言われた代物なので、武士たるものイザという時を考えると、一振くらいはまともな刀を持っておきたいところです。
戦場では、大勢を相手にする事もあるので、接近戦用の刀だけでは心許ありません、槍も買い揃えましょう。槍は鉄砲よりはうんと安くなり、百疋、48000円になります。槍なら、よほど貧乏な農民でない限りは装備できそうですね。
最後は武士と言えば馬でしょう。馬を持っていれば、徒歩の足軽に比較して機動力は格段に上がりますし、乱戦になっても馬を突進させれば大抵の足軽は追い散らされます。馬にもピンからキリまでいるのですが、とりあえず乗れればいいのなら、三貫二百文で154,000円で買えたようです。ちょっと高いノートパソコンの値段が馬の値段なんですね。
気になる戦国武者の装備の合計金額は・・
これらを全て合計すると、大体345万円くらいないと戦場にフル装備で立てない事になります。つまり、戦場で馬に乗り鎧兜に身を固めている武士というのは、最低350万円の自己資金を投資して戦場に立っているんですね。結局、戦国時代と言っても、お金がないと何もできないような気がしてきました。
あとこれでも、装備の費用だけで馬に与える飼料代、自分が食べる米やオカズも、戦国時代の中盤くらいまでは自腹で一カ月を経過しないと追加分を支給してくれなかったみたいですから、+30万円と考えて自己資金はおよそ400万円になります。大河の明智光秀は、そこそこお金持ちなんですね。
超リーズナブルな農兵の装備
「もう騎馬武者として合戦に参加するのは諦めた!農民兵から手柄を立てて一攫千金を狙う!」そんな人の為に、農民兵の装備費用を調べてみると、
鍬:七十五文3600円
鋤:百二十文5760円
鎌:二十五文1200円
曲げわっぱ:十文480円
陣笠:自分で編む0円
このように大体1万円内外を出せば、農兵の装備は万全です。それ以外にも、米が一カ月分で144000円程が必要ですが、まがりなりにも農家ですので米については、何とかなるでしょう。ただ、農民兵は、例え敵将を打ち破る事があっても、論功行賞に預かる事は出来ません。論功行賞は武士に対してだけ行われるものなのです。じゃあ、合戦には参加するだけ損じゃん、というとそうでもありません。
少なくとも合戦に勝利できれば、勝者の権利として略奪に加わる権利がありますので、何としても負けないように頑張りましょう。負けてしまえば農民兵の境遇は地獄です。一応、戦国時代には銭で八貫文(40万円)支払うと兵役を免除されますが、その40万円はなかなか持っていませんよね。
それでも本当に強いのは農民兵
しかし、地味でも貧乏でも、実際の戦争で主力を為すのは徴用される農民兵であり、彼らは地べたをはいずり回っても合戦を生き残る術を体得していました。
「歴々のお侍衆をはじめ、お前様も具足をつけ大小の太刀をはいて、いかにも厳めしく見えるけんど、戦場で生き残る術は、わっちらほどご存知あるめェ」
このように嘯く農民兵は、戦場は飢饉同然、兵士は乞食同然という現状認識を持ち、戦になれば武勇より武器より防具より、食!手に入るものは何でも持っておき、食べられる野草の知識や、泥水を濾して飲む方法を体得し、農民が米や財産を隠している場所を同じ農民の経験から探し出すという犬並みの嗅覚を有していました。彼らからすれば、サムライ同士の合戦なんぞどうでもよく、いかに地獄の戦場で生き残るかが全て、出来れば略奪で戦利品を得て故郷の村に帰る事しか頭にありません。しかし、だからこそしぶとく生き残り、合戦の主力であり続ける事が出来たのです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
合戦に武士の格で参加するのは、莫大なお金がかかったんですねえ・・
明智光秀は、信長に取り立てられた直後は、随分強引な年貢の取り立てをして訴えられたりしていますが、自分一人参戦しても400万円もかかるんじゃあ、部下をもってしまえば、それこそ、綺麗事を言っている暇はなく、毎回、血眼になって金策をするのも分かる気がしますね。
参考文献:日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情
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