建安12年(207年)に諸葛亮は劉備の誘いを受けて正式な部下となりました。有名な「三顧の礼」です。
三顧の礼は実際にあったという人もいれば、無かったという人もいますが今回はそれが主題ではありません。今回は入ったばかりの諸葛亮に対して関羽と張飛が嫉妬する話です。小説『三国志演義』では非常に面白く描かれています。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています
水が魚を得る
諸葛亮を部下にした劉備は、すっかり大喜び!毎日朝から晩まで諸葛亮と一緒です。仕事中はもちろん、食事・散歩・寝る時まで一緒・・・・・・
2人はまるで恋人同士・・・・・・劉備も諸葛亮も奥さんいましたよね?その様子を遠くから眺めている2人がいます。関羽と張飛でした。関羽と張飛は捨てられた恋人のように嫉妬の目線で諸葛亮を見つめています。
「俺たちや他の部下は、今まで生死を共にしてきたのに、先日加入した諸葛亮は殿に気に入られてしまった」と張飛はコメント。
「ちょっと考え直してもらわないと」と関羽も言いました。
そこで関羽と張飛は劉備に相談します。2人は、まだ手柄を立てていない人物を寵愛するのはいけない、と諫言しました。しかし劉備は「私が諸葛亮を得たことは水が魚を得たことと一緒だよ」と返答します。劉備が「魚」で諸葛亮が「水」と言っているのです。後世、これを「水魚の交わり」と言って、離れることが出来ない親密な関係の例えに使用されることになります。劉備から話を聞いた関羽と張飛は呆れてしまい、これ以上の説得は無理と断定して帰ることにします。だがこれ以降、諸葛亮のことを陰で「水」と呼ぶようになります。
剣と印授
しばらくすると、曹操軍の夏侯惇が10万の軍を率いて攻めてきました。小説では建安12年(207年)になっていますが、正史『三国志』によると夏侯惇が攻めてきたのは建安8年(203年)です。諸葛亮は早速、自分の実力を見せることにします。だが、諸葛亮は関羽と張飛が言うことを聞かない可能性を頭に入れています。
そこで劉備から剣と左将軍の印授(印鑑)を借りることにしました。劉備の剣と印授を諸葛亮が借りたら、軍事の全権は諸葛亮が持つことになるからです。諸葛亮の読み通り軍議の場では張飛が1番大人しくしていません。関羽は予測していたのか黙っています。やかまかしい張飛に対して剣と印授を見せて黙らせます。張飛は仕方なく退きましたが、今回の戦で敗北した場合は次は言うことを聞かないと捨て台詞を吐きます。こうして関羽と張飛は出陣しました。
関羽と張飛、諸葛亮を認める
ところが、関羽と張飛の予想は見事に裏切られます。曹操軍は諸葛亮の火攻めの前に見事に敗走。張飛は曹操軍の将軍である夏侯蘭を討ちとりました。ただし、これは小説のフィクションであり正史『三国志』に注を付けた裴松之が持ってきた『趙雲別伝』という史料によると、夏侯蘭は趙雲に捕縛されています。
大勝利した劉備軍であり関羽も張飛も諸葛亮の実力を認めるしかありません。諸葛亮がやって来ると2人は、頭を下げました。こうして諸葛亮の実力を認めた2人は、その後も諸葛亮の指示に素直に従うのでした。
三国志ライター 晃の独り言 中国史の本はどこで探せますか?
専門的な本を読みたいという読者の皆様のために、今日は中国史の本をどこで探せるかお話します。1つ目はジュンク堂などの大型書店で探すこと。ただし、専門書は安くて700円。高くて10000円です。財布と相談してください。
2つ目はブックオフなどの古本チェーン店で探すこと。皆さんが考えている以上に掘り出し物が出ています。筆者も5年前は結構、見つけてきました。3つ目はアマゾンなどのインターネットを使用することです。お安く入手することが多いです。
読者の皆様は、どれがよろしいでしょうか?
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