三国志屈指の暴君として描かれることが多い董卓。筆者もその昔、横山先生の三国志を読んで董卓の所業に恐れを感じたものです。
しかしたまに「董卓は無能な暴君!」という苛烈な意見を見ると、少々首を傾げてしまうもの。今回は間違いなく暴君ではありますが、その董卓にも功績はある、という面からも董卓という人物を振り返っていきたいと思います。
「董卓 功績」
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暴君ではあるが、無能ではない董卓
さて董卓の功績もこまごまと色々なものがありますが、個人的に挙げたい董卓の功績といえば献帝を擁立したことだと思います。
十常侍の乱の際に董卓は宦官に連れ去られた少帝と陳留王を保護することになるのですが、この際に二人と会話を行います。この際に少帝は満足に会話できなかったにも関わらず、それより幼い陳留王は乱の経緯などを始めとして、一連の事情を滞りなく話して見せました。董卓はこの際に陳留王の方が少帝よりも賢いと思ったと言います。
もちろん幼い陳留王を皇帝にして自分が実権を握ろうとしたのだとは思いますが、能力のある人物を見極めてそちらを立てた振る舞いは評価されるべき董卓の能力であり、この後の横暴さえなければ功績といっても良い行動だと思われます。こういった董卓の一面はもう少し評価されても良いと思いますね。
董卓が嫌われる理由は、暴君故か?
さて董卓ですが、嫌われ者です。董卓に関しては陳寿も物凄く非難していることもあり、三国志演義の演出だけでなく三国志の方でもその凄惨な暴君たる振る舞いは読み取ることができます。捕虜の扱いも酷いもので、残酷すぎる所業で殺し、それを見て笑って酒を飲む董卓という正に暴君!という様が記されています。
しかし如何に暴君とは言え、董卓が嫌われているのはその暴君さだけなのか?
ということでここで一つ、董卓が嫌われている理由、暴君の悪役として描かれる理由を挙げてみたいと思います。
董卓が悪役として描かれる理由の一つ
董卓以外にも悪役とまでは行きませんが、手ひどく書かれている人物がいます。それは公孫サン、また董卓の関連人物でもある呂布です。そして優秀とも書かれ、時に非難もされる曹操もこの関連人物と言えるでしょうか。
この人物たちの共通項として、名士、知識人との折り合いの悪さが挙げられます。つまり歴史を書き記す人たちと仲が悪い、もっというとそういう人たちに嫌われた人物たちです。そう言った面もあって、そして元々暴君であったことも相まって董卓は非常に悪く記されているのでは……と思うのです。
董卓が「失敗した」理由
しかしここで言っておきたいのは、董卓は決して「故意に悪役にされた」ということではありません。筆者は間違いなく董卓は暴君の悪人だと思っています。また残酷なだけでなく、短気で怒りっぽく、人に当たり散らすような人物であったとも読み取れます。
正史の呂布と董卓の揉めた理由として「昔、呂布が小さなミスをした。その時に董卓は武器を投げつけた」とあります。呂布は避けて謝罪したようですが、小さなミスで武器を投げるほど当たり散らすような人物は、少なくとも折り合いが悪いだけでは片づけられない、人間性に問題があったと言わざるを得ません。
こう言った対応を呂布以外にも繰り返していて、結果として色々な人間から背かれていったのでは……と思います。これこそ董卓の最大の失敗、きちんと人心を掴んで、少なくとも自分に付いてくれている味方の心くらいは離れないように気を使っていれば、もう少しまともな最期を迎えられたのでは、と思いますね。
三国志ライター センのひとりごと
個人的にはやはり、董卓の末路は自業自得と言わざるを得ません。しかしその自業自得こそが、董卓という人物だとも同時に思います。董卓は能力もありました、時勢にも恵まれていました、しかし失敗をしました。
それは紛れもなく、董卓のやった行いから生まれてしまった失敗です。だからこそ変に美談化する訳ではなく、しかし能力まで卑下することなく、董卓という人物をしっかりと評価したいですね。我が身を振り返りたくなる三国志の人物、それが董卓という人物だと思いました。
参考文献:後漢書董卓伝 呂布伝
献帝記
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