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この記事の目次
義輝は剣豪だからこそ矢に倒れた
しかし、矢に倒れたから義輝が弱いかというと、そうとも言い切れません。むしろ、義輝が剣豪だからこそ、正面から攻撃する事を嫌がり、矢を射かけて殺そうとした可能性もあるからです。
戦国時代は時代劇のチャンバラではありませんから、剣の腕が立つ人間に剣で挑むようなバカはいません。それなら矢や鉄砲で討ち取りリスクを減らすのが当たり前なのです。とても残念ですが、義輝が本当に噂に違わない剣豪将軍でも、結果は史実と変わらない最期を迎えた事でしょう。
戦国時代ライターkawausoの独り言
最後に将軍義輝に殉じて死んだ、一人の少年武士の話をしましょう。
十三、四歳の年少の貴人が公方様の前に現れ、大いに奮闘し始めたので、謀反人の側の人々は口々に彼を生け捕りにせよ、殺してはならぬと叫んだ。少年は、公方様がすでに亡くなった事を知り、己が生きれば大きな不名誉になると考え、手にしていた刀を捨て、短剣を抜いて喉の一部を切り続いて腹に突き立て、義輝におおい被さるように倒れた。
弱体化した幕府ですが、この日義輝に殉じ幕臣や関係者、百名余りが戦死しています。不遇であり、また実力不足でもあった義輝ですが、決して一人で孤独に倒れたのではなく、その理想を信じて付き従った人々も大勢いたのです。
※参考文献 1565年6月19日付フロイス書簡